ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

今年最初の日曜日

朝、起きる。

昨日の日記を簡単に書く。

聖書を読む。

コーヒーを飲みながら、朝食を適当に。

ほんの少ししか食べない。

薬を飲む。

薬を飲む。

薬を飲む。

忘れずに。

SNSのチェックをする。

facebookTwittermixi、LINE。

たくさんあるけど、それぞれ役割が違う。

みんなに助けられている。

パソコンを起動する。

バッハをかける。

今日は、マタイ受難曲

指揮はヘルマン・シェルヘン。

そして、ぼんやりと考える。

 

今日は、今年最初の日曜日。聖日主日

1月6日が公現日、とか言われます。

英語で言うとエピファニー

教会ではこの辺りまでがクリスマスの暦。

ま、そんなに意識しなくてもいいのです。

 

クリスチャンならば、本来教会へ行く日。

それが日曜日。

しかし、私は行きません。

前の記事で書いたように、病気をしています。

そして、私の通う教会は少し遠い。

だから、滅多に行かれないのです。

 

精神にゆとりがあれば、ネットで礼拝します。

いつもお世話になるのが、下谷教会さま。

Ustreamで中継してくださるので、ときどき。

もう何年もお世話になっています。

いつも素晴らしい説教で、感謝しています。

でもそれも、毎週は困難です。

頭がぱんぱんになってしまうのです。

 

30歳くらいで結婚するまでは、教会を休んだことはありませんでした。

もちろん体調が悪くて休むことはしばしばありましたが、基本的には行かない選択はありませんでした。

結婚後、当時の夫がクリスチャンではなかったため、そして私の病気が発症し始めていたため、全く行かなくなりました。

すぐに離婚したのですが、さらに病気が悪化したために、いよいよ教会から離れて行きました。

 

その頃に比べたら、今は本当に良くなりました。

でも毎週のように教会へ行く生活には、まだ少し遠い。

 

今頃、私の通う教会でも、礼拝が始まっています。

10時半からなのです。

下谷教会でも、始まっています。

こちらも10時半から。

今日は、ちょっと、無理みたい。

 

そして、ぼんやりと考える。

 

 

何のために、教会へ、行くのだろうか。