鬱病などの精神的な病気をしていると、睡眠障害の症状が出る人は多いと思います。
深夜や早朝のあらぬ時刻に目が覚めて、そのまま眠れなくなってしまう。
そして昼間はぼんやりして、なかなか活動的になれないのです。
もちろん私もその一人で、この記事を書いている今は深夜の3時過ぎです。
同居している両親に悪いので、なるべく電気はつけないようにしています。
一ヶ所だけ明るくしてあるキッチンのそばでコーヒーを飲みながら、いつもぼーっとしてヘッドホンで音楽を聴いています。
夜は、怖い。
闇が襲いかかって来るようです。
意味もわからない闇の力が、私に働きます。
さあ、もうどこかへ行ってしまえと。
どこへ?
ここではないどこか、私の存在しないところへ。
この「誘惑」に打ち勝つためには、ただならぬ闘いが必要です。
もう一度お薬を飲んで眠ろうと思っても、今日飲むべき量は既に飲んでしまいました。
あとはちっぽけな頓服があるだけ。
飲もうと思えばたくさんのお薬を持っています。
でも、飲まない。
どうせすぐに見つかって、病院へ連れて行かれるのが関の山。
無駄な力は使いません。
それなら、ちょっと外へ出て、ひょいと飛んでみる?
いやいや、それもしません。
かつて、それをやった人の「残骸」を、この目で見たことがあります。
必死で急いで片付けている人たちの様子も。
申し訳なくて、とてもあんなことは。
では、一番身近にある、刃物は?
使いません。嫌です。
私、痛いの大嫌いなのです。痛い痛い。
紙一枚で指を切るだけでも、想像するだけで痛いです。
だからあり得ません。
こうして消去法を重ねていって、「仕方ないや、このまま朝を待とう」となるのです。
文章にしてしまうと、とても簡単そうですね。
だけど、大変なんですよ、この作業。
何せ闇の誘惑は凄い勢いで来るのです。
私はこの力を昔、「死ね死ね団」と呼んでいました。
夜になると(昼間でも)、死ね死ね団は簡単にやって来ます。
来なくてもいいのに、頼みもしないのに。
鬱を抱えている人は、多くの人がこの死ね死ね団と闘っています。
その闘いは、恐ろしいほど孤独。
死ね死ね団は、誰も助けてくれない時間帯を狙って、どっとやって来るのですから。
こういう時、イエス様なんかいないです。
います?
いや、いないね。
私はいつも思います。
キリスト教を信じている人で、思い鬱を患っている人は、どんな風にこの死ね死ね団と闘っているのかな。
「キリストが共にいてくださいます」
なんて、つまらない言葉だけで、本当に乗り越えられるのか。
私はこの病気が治っても(いつかは治ります)、そのような「キリストがー」「イエス様がー」などという言葉を振りかざすことだけはしたくない。
そんな言葉はなんの気休めにもならず、かえって患者を苦しめます。
ほしいものは、きっと「本気の寄り添い」。
黙っていていいのです。傾聴もいらない。
ただ、寄り添ってくれればいいのです。
「あなたの味方だよ、見捨てないよ」
そう言ってくれる人が、必要です。
「あなたは悪くないよ、ほんとだよ」
と、心底思ってくれる人が。
簡単なことのようで、とても難しいことです。
半端な気持ちでは、寄り添うことはできません。
あなたの近くに、そんな人がいてくれますように。
あなたの苦しみがほんの少しだけわかる私も、あなたの味方だよ。
死ね死ね団からなんとか隠れて、この闇をやり過ごそう。