ぼたもち(仮)の重箱

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「暇と退屈の倫理学」感想

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「暇と退屈の倫理学」(國分功一郎著)。

 

無事に読了しました。

 

とても易しい表現で、本来なら難しいはずの哲学の話をしてくださっている本です。

私は哲学のことなど知りません。

難しい表現も苦手だし、単語もわかりません。

形而上とか弁証法とかよく出てくる言葉も、意味がわかりません。

でも、そんな言葉はいらないのです。

この本は「脚注すら読む必要はない」と言って、読者を安心させてくれます(興味が出たら脚注を見てくれ、的な)。

複雑な言葉などひとつもなく、楽しく、そしてエネルギッシュな語り口で、読む者をグイグイと引っ張っていく。

「リーダーシップのある本だなあ」

と感じたのは、そこが哲学とか思想とかの本ゆえなのかしらん。

 

目次は以下の通り。

 

*****


序章 「好きなこと」とは何か?

第一章 暇と退屈の原理論──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?

第二章 暇と退屈の系譜学──人間はいつから退屈しているのか?

第三章 暇と退屈の経済史──なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?

第四章 暇と退屈の疎外論──贅沢とは何か?

第五章 暇と退屈の哲学──そもそも退屈とは何か?

第六章 暇と退屈の人間学──トカゲの世界をのぞくことは可能か?

第七章 暇と退屈の倫理学──決断することは人間の証しか?

結論

付録 傷と運命──『暇と退屈の倫理学』新版によせて

*****

 

目次を読むだけでも、楽しそうですよね。

サブタイトルが効いてます。

私は「好きなこととは何か」という一言で、ロックオンされてしまいました。

私の悩みは「好きなこと(やりたいこと)がないこと」です。

それを教えてくれるのか、何かヒントをくれるのか。

私の人生の悩みは、暇や退屈と関係がありそうだ。

そんな風に思って、三日くらいで読みました。

 

ここでは本の内容の紹介しません。

結論も書きません。

この目次を読んで、何かを感じ取った人。

あなたこそ、この本と共に旅をする人です。

暇と退屈、すなわち人間そのものの旅を。

 

私は今、「当事者研究」に取り組んでいます。

当事者グループの会に参加したことはないので、セラピストさんからのリアクションによって、少しずつ自分研究を進めています。

自分自身がどこに立っているかを考えるとき、この「暇と退屈」はとても重要なキーと感じずにはいられません。

私の人生は、暇なのか。忙しいのか。退屈なのか。充実しているのか。(病人って静養するのに忙しいものなのですがね)

 

私という人間は、どこに立っている?

 

そして、どこにどうやって立ちたい?

 

「暇をもてあます」という言葉がありますが、これはきっと「退屈」の意味でしょうね。

そう思うと、私は退屈していたかもしれない。

静養に忙しくて暇はないはずなのに。

退屈して、もてあまして、ネット中毒。

ネットのお付き合いを通して、何とかして自分に刺激を与えている。

ゲームも暇つぶしのひとつではありますが、SNSもまた大きな刺激。

一人でやるゲームより、人間関係の危険が伴います。

 

退屈の恐ろしさよ。

ネットの人間関係トラブルによって、自らを消耗させていく。

ネットの奴隷と変わらない状況。

 

さあ、どこにどうやって立ちたい?

 

國分功一郎さんと共に、暇と退屈の倫理学を学び、一緒に歩ませていただきました。

この本を読み、たくさんのことを感じただけでも、私の人生はとても変わったと思います。

具体的に何が変わるかは、まだわかりません。

でも、変わる。確実に。

 

私は、どこにいるのか?

どこに立っているのか?

 

まだ少しウロチョロしています。

もう少しあと少し、ウロチョロします。

この本の最終章と結論、付録をさらにじっくりと読みたいと思います。

当事者研究をしながら。

 

最後に。

 

「人間って、人生って、なんだろう」

と、少しでも考えたりすることのある人は、ぜひこの本を手に取ってほしい。

感じ方、とらえ方は人それぞれですが、とても読みごたえのある素晴らしい本です。

何より「著者と一緒に旅に出る」気持ちになれて、「著者と一緒に地元駅まで帰ってきて」、「家に着くまでが遠足だよ」と言いながら、明日からの生きる態度をアドバイスしてもらって、バイバイする本なのです。

 

きっと、あなたに出会えます。

 

 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)