無事に読了しました。
とても易しい表現で、本来なら難しいはずの哲学の話をしてくださっている本です。
私は哲学のことなど知りません。
難しい表現も苦手だし、単語もわかりません。
形而上とか弁証法とかよく出てくる言葉も、意味がわかりません。
でも、そんな言葉はいらないのです。
この本は「脚注すら読む必要はない」と言って、読者を安心させてくれます(興味が出たら脚注を見てくれ、的な)。
複雑な言葉などひとつもなく、楽しく、そしてエネルギッシュな語り口で、読む者をグイグイと引っ張っていく。
「リーダーシップのある本だなあ」
と感じたのは、そこが哲学とか思想とかの本ゆえなのかしらん。
目次は以下の通り。
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序章 「好きなこと」とは何か?
第一章 暇と退屈の原理論──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
第二章 暇と退屈の系譜学──人間はいつから退屈しているのか?
第三章 暇と退屈の経済史──なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
第四章 暇と退屈の疎外論──贅沢とは何か?
第五章 暇と退屈の哲学──そもそも退屈とは何か?
第六章 暇と退屈の人間学──トカゲの世界をのぞくことは可能か?
第七章 暇と退屈の倫理学──決断することは人間の証しか?
結論
付録 傷と運命──『暇と退屈の倫理学』新版によせて
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目次を読むだけでも、楽しそうですよね。
サブタイトルが効いてます。
私は「好きなこととは何か」という一言で、ロックオンされてしまいました。
私の悩みは「好きなこと(やりたいこと)がないこと」です。
それを教えてくれるのか、何かヒントをくれるのか。
私の人生の悩みは、暇や退屈と関係がありそうだ。
そんな風に思って、三日くらいで読みました。
ここでは本の内容の紹介しません。
結論も書きません。
この目次を読んで、何かを感じ取った人。
あなたこそ、この本と共に旅をする人です。
暇と退屈、すなわち人間そのものの旅を。
私は今、「当事者研究」に取り組んでいます。
当事者グループの会に参加したことはないので、セラピストさんからのリアクションによって、少しずつ自分研究を進めています。
自分自身がどこに立っているかを考えるとき、この「暇と退屈」はとても重要なキーと感じずにはいられません。
私の人生は、暇なのか。忙しいのか。退屈なのか。充実しているのか。(病人って静養するのに忙しいものなのですがね)
私という人間は、どこに立っている?
そして、どこにどうやって立ちたい?
「暇をもてあます」という言葉がありますが、これはきっと「退屈」の意味でしょうね。
そう思うと、私は退屈していたかもしれない。
静養に忙しくて暇はないはずなのに。
退屈して、もてあまして、ネット中毒。
ネットのお付き合いを通して、何とかして自分に刺激を与えている。
ゲームも暇つぶしのひとつではありますが、SNSもまた大きな刺激。
一人でやるゲームより、人間関係の危険が伴います。
退屈の恐ろしさよ。
ネットの人間関係トラブルによって、自らを消耗させていく。
ネットの奴隷と変わらない状況。
さあ、どこにどうやって立ちたい?
國分功一郎さんと共に、暇と退屈の倫理学を学び、一緒に歩ませていただきました。
この本を読み、たくさんのことを感じただけでも、私の人生はとても変わったと思います。
具体的に何が変わるかは、まだわかりません。
でも、変わる。確実に。
私は、どこにいるのか?
どこに立っているのか?
まだ少しウロチョロしています。
もう少しあと少し、ウロチョロします。
この本の最終章と結論、付録をさらにじっくりと読みたいと思います。
当事者研究をしながら。
最後に。
「人間って、人生って、なんだろう」
と、少しでも考えたりすることのある人は、ぜひこの本を手に取ってほしい。
感じ方、とらえ方は人それぞれですが、とても読みごたえのある素晴らしい本です。
何より「著者と一緒に旅に出る」気持ちになれて、「著者と一緒に地元駅まで帰ってきて」、「家に着くまでが遠足だよ」と言いながら、明日からの生きる態度をアドバイスしてもらって、バイバイする本なのです。
きっと、あなたに出会えます。