ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

その子を抱きしめろ

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赤ん坊のように泣いたことが、一度だけあるような気がする。それは病の底の底で、でも実はまだほんの入り口で、その後の自らの人生がどんなに苦難に満ちたものになるか想像もつかなかった若き日。空は青く晴れていたのをぼんやりと記憶していたけれど、曇っていたかもしれない。雨は降ってはいなかった。みっともなく床に転がって、駄々をこねて泣いた。

 

その号泣は異常なもので、狼狽えた母は私に精神安定剤を規定ぎりぎりまでたくさん飲ませた。私の何が悪いのか、まったくわからなかった。なぜこのような仕打ちにあうのか、なぜ私は誰にも受け入れてもらえないのか、心は闇の中にあり身体はけいれんを起こしていた。私の何が悪いのか、私にはどうしてもわからなかった。無理もない。悪いのは私だけではなく、私をこのような状態に陥れた様々な状況にあったからだ。私が一切悪くなかったとは言わない。ただそれを受け入れるだけの体力は既になかった。今ならば言える。ああ、あれはね。私にも問題があったけれど、あの人もかなり良くなかったよ。他の人からは善人で立派な人だと思われているあの人だけど、問題のない人なんかいないんだよね。そうだ、それが人間だ。「全部おれが悪いんだ」と言い切る人も信頼できないし、「全部あいつが悪いんだ」と言い切る人間も当然ながら信頼に足るものではない。相互に作用しあって、押したり引いたりしあっているのが我々なのだ。

 

子どものように泣くことができる、なんて幸せなことだろうか。泣きたいと思ってももう涙などどこにもない。残っていない。涙が出るとすれば、泣ける映画リストに入っているお決まりの作品がほんの少しだけ。どうしても泣きたいと思ったら、それを観る。わざわざ観ようと思うほど泣きたいとも感じることはなく、むしろ泣いている姿を見られるのは恥ずかしくて隠れてしまいたい。それでも私はときどき泣きたくて、涙が出なくて、どうすればいいのかわからなくなる。

 

「救い」なんて、どこにあるのだろうか。

 

 

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それでも時折、光に包まれている人に出会うことがある。うらやましいと思う暇などなく、その人の中に影がないわけがないのに、すでに救われてまぶしい光の中にいる人だ。どんなにか苦しみ、どんなにか涙を流し、どうやってここまでたどり着いたのだろう。お願いです。私にもその光、ください。願っても願っても、叶えられない。言葉にならない言葉は、むなしく空気に変わる。圧倒されながらほしいと願っているうちは、何一つ与えられない。

 

何一つ「与えられない」、私は「受け入れられない」。そう感じ続けている限り、私から闇は去っていくことはなく光が訪れることもない。わかっているのだ。鍵は、私の中だけにあるのだから。まだ見つからないだけで。

 

私の病は、この世は私がすべてであるのに、どこにも私が存在しなかったことだ。世界は頭のおかしくなった私でいっぱいに満たされて、私が私に圧し潰されている。それなのに私がどこにもいない。どんなに探しても、タンスの中にも引き出しの中にも、壁紙の裏側にも本棚の奥にも、いないのだ。私が高笑いし、私が怒声をあげ、私が泣き喚く。部屋の真ん中にぼんやりと座り込んでいる私は、その声に圧し潰されていく。ここには私しかいない。部屋の外へ出ても、近所の小さな公園に行っても、よく行くカフェにも、頭のおかしくなった私に満ちている。それなのに、私が、本当の私がどこにも見つからない。私、どこへ行ったの。呟いてみても、答えはない。

 

答えは、小さなきっかけで。そう、私の足元に。

 

ほんの小さなきっかけで、小さな小さな子どもの私を見つけることができたのは、幸運以外の何ものでもなかったのかもしれない。その子どもは、驚くほどに小さかった。泣くわけでもなく、笑うわけでもなく、曖昧な表情で胸が痛んだ。すぐに抱きしめてやればよかったけれど、できなかった。これが取り残された私だと思うと、かわいそうで泣けてきたのに。また捨てるのか。また見捨てるのか。またこの子どもを孤立させるのか。

 

あるスタジオミュージシャンは言った。「あなたの周囲には愛がたくさんある。あなた自身がそれに気づいていないだけのように見える」と。彼の言うことは概ね信じることはできなかったが、その一言だけは心に残った。小さな子どもの私は、多くの人に愛された。それはきっと今でも変わらない。その受け取りかたが、少しだけずれを起こしただけかもしれないのだ。今この小さな子どもを見捨てずに抱きしめれば、愛の受け取りかたのずれを直すことができるかもしれないと私は感じた。

 

小さな子どもと少しだけ手をつないでみたら、小さな手を通して、明るい光が伝わってきた。この子は、光を持っている。小さな私は、光に包まれていた。とてもまぶしくて、やわらかくて、穏やかな光だった。

 

この子どもは、私だ。

 

大丈夫、私には光がある。私は闇ではなかった。闇に潰され、闇にかき消され、影の中で生きるしかないと、影の中で死んでいくのだと絶望していたけれど、ここに光があったではないか。この光の子どもは私なのだ。安心して抱きしめてやれ。何も恐れることなく、何もためらうことなく。私以外に、抱きしめてやる人はいないのだから。この子は誰にも見ることのできない、私の目にしか映らない幻の子ども。

 

誰もが胸に抱いている、幼い頃の自分。どこかに置き忘れてきた、私。