アイデンティティはどこにあるだろうか。子どもの頃の夢はなに?
夢のない子どもだった。なりたいものは何もなかった。「大きくなったら何になる?」というお決まりの質問に、どうやっても答えられなかった。仕方なく答えたものは、看護婦さん、歌手、女優さん。看護婦さんは、小学4年生の頃にマイコプラズマ肺炎で入院した際に、とてもよくしてもらったという体験からきただけの記憶。歌手と女優さんは、松田聖子が好きだという適当な感覚。そして。
「お嫁さん」と「お母さん」だけにはなりたくなかった。私のなるべきものではないと、小さな頃から思ってた。今でもそれは、変わらない。
もう少し大きくなると、文章に興味を持ち始めた。遊びでマンガを描く趣味があったが、それと同時に小説のようなものを書き始めていた。何かを書く、その行為が好きだった。自分というものが確立されていない未熟な私にとって、それでもどこかに眠っている自分を出してみたいという気持ちの表れだったのかもしれない。
社会人になると、小説を書くことがしっかりと根付いた趣味となった。毎日毎日残業ばかり、24時間戦えますか。そんな時代を生きてきた私は、深夜の時間を創作活動に充てた。戦わなければならない毎日のストレスとフラストレーションを、すべて「書く」という行為に向けて噴出させた。この状態は、いま現在も続いていると言ってよかろう。
実は少しだけ、作家になりたいと思ったことがある。小説家というやつだ。呼び名はどちらでもいい。ものを書いて世に出す仕事に憧れた。作家になるだけの教養も素地もなく、モチベーションも高くないというのに。それでも、私の名前で書籍が出されることに、憧れた。
私は、何になりたかったろう。
誰かが名乗っている「何者」かに、なりたかったのだろうか。
それは、なに?
それは、本当に、「私」なのか。
私は誰なのか。アイデンティティは、どこにある。
何者でもない自分が、嫌だった。肩書のある人に憧れた。名刺がほしかった。昔、名刺を持っていた。表は日本語で私の顔写真と職種が書いてあり、裏には英語で同じことが書いてある。当時の職種はセクレタリーだった。セクレタリーでもいい。今でもその名刺がほしいと願う日だってある。私を「何か」にしてくれないか、誰か。誰でもいい。私を。誰か。
これが私の人生だった。誰か、私をどうにかして。
40代も半ばを過ぎて、ようやく気づいた。誰も、誰一人として、誰かをどうにかすることなど、できはしない。誰かに頼って「何者」かになろうとしても、それは私ではないのだ。ただの与えられた職種というだけであって、その職場を辞したら剥がされるラベル。
誰かに与えられたものに、価値を見出してはならない。
そんな当たり前のことに気づくのが遅く、しかし気づかないまま死んでいくよりもよかったと思う。心底。
「君を永遠に僕は愛し続ける、君だけを僕は愛し続ける」と、もしも誰かから言われたとしよう。その言葉に引き寄せられて、その言葉で自分が「何者」かになったように感じて、「この人に愛される自分がアイデンティティ」になってしまったら、どうなるのか。人の心は変わるのだ。今日愛してくれたあの人は、明日は去っていくかもしれない。死ぬかもしれない。離婚するかもしれない。そうやって、私も多くの愛を失ってきた。それなのにまだ、繰り返すのか。永遠はない。どこにもない。その言葉に、未来永劫の確約などない。私が弱いのと同じことで、相手も弱い人間なのだ。
作家の称号が、セクレタリーの称号がほしいと感じることと同様に、「愛される私」の称号を求めても仕方がない。そして、むなしい。
そんな「私でない何か」になりたかったわけではないのだ。
きっと。
なりたかったのは、「何者」かではなく、「私であること」。
どんな職種であっても、どんな立場であっても、それ以前に、自分自身であること。これ以上、だいじなことは、ないのではないだろうか。
私は誰かの「何者」かではない。
私は、私だけの、私だ。
誰にも明け渡すことはできないし、決して明け渡してはならない。
明け渡さない私自身が、明け渡さないあなた自身に向き合い、愛する。
私は、望みたい。
愛されるよりも、愛することを。
(本日のnoteより転載)