しかし、勇気を出しなさい。
わたしは既に世に勝っている。
*****
今年のバレンタインデーの日付で、ある牧師から贈られた聖句です。
その牧師が書いたご本をいただけることになったので、「サインしてください」とお願いしたら、この聖句が書いてありました。
私のたくさんの苦しみをよくよく知っていてくださるかたなので、深い祈りを込めて贈ってくださったみことばなのだろうと、ただならぬ感謝をもって頂戴したものでした。
こんなに毎日苦しくて、しんどい思いばかりしなければいけないのに、「勇気出せ、世に?勝ってる?から」ってなに?
聖書に書いてあることって、そもそも意味がわからないものです。
何回読んでも、わかろうと思ってわかるものではありません。
そして、前後の文脈だっていろいろあります。
それを考えると、余計にわかりにくいもの。
世界のベストセラーと言われる聖書ですが、人間に理解できるレベルの書物ではないといつも思います。
その聖書に私が出会ったのは、幼児の頃。
母がクリスチャンだったので、私は赤ちゃんの時分から教会に連れて行かれました。
いつの間にか、知らないうちに、聖書に馴染んでいました。
幼稚園は近所の教会付属幼稚園。
クリスマスになると、みんなで聖書一章分を暗唱しました。
小学生になっても、毎週日曜日は教会へ。
何の疑問もありませんでした。
私の人生は、イエス様と共にあると信じて疑わない子ども。
教会学校にはお友達もたくさんいて、楽しい少女時代でした。
そして、15歳のイースター。
中学卒業直後に、洗礼を受けました。
何も考えず、何も疑わず、何の自覚もなく受けた洗礼。
これが、その後の私の人生を苦しめ、そして救ってくれることになるとは。
あの洗礼、受けなければ良かった。
そう、何度も思いました。
でも、洗礼は人間の支配する出来事ではありません。
洗礼の「時」は、神様によって用意された時なのです。
私には、早いうちに受けることが、きっと良いこととされたのでしょう。
と、考えるようにしています。
そうでなければ、私は生涯洗礼を受けるチャンスがなかったかもしれない。
人生は、一度きり。
一度きりの人生は、苦しい。
あなたの人生が苦しいように、私もまた苦しんでいます。
イエス様がその苦しみを取り除いてくれるかって?
そんなに都合良くはいきません。
イエスキリストは、都合の良い神頼みの神ではないから、私たちの思い通りには事を運んでくれません。
しかし、いるのです。
救い主イエスキリストは。
私のそばに、あなたのそばに。
そのことを、うまくお伝えできればいいのですが。
私の言葉が拙くても、何かが伝わっていけばいいのですが。
あなたのために、少しずつ。
このページに綴っていこうと思います。