ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

人生は苦しいけれど

しかし、勇気を出しなさい。

わたしは既に世に勝っている。


ヨハネによる福音書16章33節(新共同訳)


*****


今年のバレンタインデーの日付で、ある牧師から贈られた聖句です。

その牧師が書いたご本をいただけることになったので、「サインしてください」とお願いしたら、この聖句が書いてありました。

私のたくさんの苦しみをよくよく知っていてくださるかたなので、深い祈りを込めて贈ってくださったみことばなのだろうと、ただならぬ感謝をもって頂戴したものでした。


こんなに毎日苦しくて、しんどい思いばかりしなければいけないのに、「勇気出せ、世に?勝ってる?から」ってなに?


聖書に書いてあることって、そもそも意味がわからないものです。

何回読んでも、わかろうと思ってわかるものではありません。

そして、前後の文脈だっていろいろあります。

それを考えると、余計にわかりにくいもの。

世界のベストセラーと言われる聖書ですが、人間に理解できるレベルの書物ではないといつも思います。



その聖書に私が出会ったのは、幼児の頃。

母がクリスチャンだったので、私は赤ちゃんの時分から教会に連れて行かれました。

いつの間にか、知らないうちに、聖書に馴染んでいました。


幼稚園は近所の教会付属幼稚園。

クリスマスになると、みんなで聖書一章分を暗唱しました。


小学生になっても、毎週日曜日は教会へ。

何の疑問もありませんでした。

私の人生は、イエス様と共にあると信じて疑わない子ども。

教会学校にはお友達もたくさんいて、楽しい少女時代でした。


そして、15歳のイースター

中学卒業直後に、洗礼を受けました。


何も考えず、何も疑わず、何の自覚もなく受けた洗礼。

これが、その後の私の人生を苦しめ、そして救ってくれることになるとは。


あの洗礼、受けなければ良かった。

そう、何度も思いました。


でも、洗礼は人間の支配する出来事ではありません。

洗礼の「時」は、神様によって用意された時なのです。

私には、早いうちに受けることが、きっと良いこととされたのでしょう。

と、考えるようにしています。

そうでなければ、私は生涯洗礼を受けるチャンスがなかったかもしれない。



人生は、一度きり。

一度きりの人生は、苦しい。

あなたの人生が苦しいように、私もまた苦しんでいます。


エス様がその苦しみを取り除いてくれるかって?


そんなに都合良くはいきません。

エスキリストは、都合の良い神頼みの神ではないから、私たちの思い通りには事を運んでくれません。



しかし、いるのです。

救い主イエスキリストは。

私のそばに、あなたのそばに。



そのことを、うまくお伝えできればいいのですが。

私の言葉が拙くても、何かが伝わっていけばいいのですが。



あなたのために、少しずつ。

このページに綴っていこうと思います。