ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

流れない涙

お正月二日目、箱根駅伝往路を楽しみました。

 

私は普段あまりテレビを見ないのですが、何となくザッピングしていたら、懐かしい「フランダースの犬」の総集編をやっているチャンネルがあったので、途中から最後まで見てしまいました。

もちろん最後は号泣です…

久しぶりに大声上げて泣きました。

 

泣いてみて感じたのですが、泣くことは気持ちのいい行為ですね。

泣くことはグッと我慢してしまうので、泣ける映画などを見ないと、私はめったに涙を見せません。

必ず泣く映画は決まっていて、どうしても泣きたい時に見るようにしています。

フランダースの犬」も候補に入れておかなければ。

 

私は、長く精神の病気を持っています。

30歳過ぎからずっと、療養生活を続けています。

仕事もできず、家庭も持てず。

教会は少し遠くて、なかなか行かれず。

自らの存在の意味を、見出せずにいます。

 

多くのお友達が支えてくださり、両親にも受け入れてもらえて、何とか生きてはいるのですが、やはり「生きてる意味があるのかな」と感じることがしばしば。

 

その中で、「泣く」ということが、できなくなっていきました。

親に見られたくない、涙がうまく出てこない。

本当は心のためにもう少し泣いたほうがいいのかもしれません。

だって、内心ではいつも泣いてる。

 

私が生きている意味、あるのかな。

 

熱心な牧師や信徒の人は、「神様があなたを愛してくださるよ」と言うでしょう。

実際にそう言われてきました。

でもね、心の病気をしていると、そういう言葉は効かないのです。

むしろ、邪魔。治療の邪魔。

 

 

今は、こんな感じ。

いつかは少しずつ、私が生きている意味、自らに受け入れていきたいです。

そのためにも、素直に泣けるようになりたい。

 

 

もっと、涙が、流れますように。