(私の好きなブルースター。下手くそだけど)
最近、友人や知人をお花にたとえるなら何にあたるだろう、ということを考える遊びをしています。
私はお花の名前があまり覚えられず、お花そのものを思い浮かべることができても、名前が出てこないことが多いのですが。
それでも、この遊びはなかなか面白いものです。
何名かのお友達に「あなたはこれ」と伝えると、面白い現象が起こりました。
皆さん、「花言葉」を調べるのですね。
私は花言葉は全く知らなくて、ただビジュアルとイメージで当てはまるお花を思い描いただけなのですが、いざ聞かされると花言葉が気になるかたが多いようです。
あるお友達に「紫のアジサイ」と伝えたら、その花言葉は「冷淡、冷酷」というひどく残念な意味合いのもので、いやはや申し訳ない…と感じてしまった次第です。
ちなみにそのかたは、とてもあたたかく優しい、自らを犠牲にしてまでも人に尽くすようなタイプの素晴らしいかたです。
そもそも「花言葉」というものは、どこから来たものなのか、私は全く知りません。
世界共通の決定事項なのかな?
恋に関わる言葉が多い気がしますが、花びら占いからの影響かしら?
いずれにしても、人間が考えて決めたことなのではないかなと想像しています。
一方、お花そのものは、人間が作ったものではありませんよね。
まさしく神様がおつくりになったもの。
神様の「創造のわざ」のひとつです。
人間という生き物は、たくさんたくさん勉強して、たくさんたくさん研究して、多くのものを作り出せるようになりました。
命さえ作り出そうと思えばできるようになってしまいました。
お花だって、作ろうと思えばできるでしょう。
凄いことだし、でも恐ろしいことだと感じます。
こんな時代だからこそ、美しく可愛らしい一輪のお花を創造なさった神様に、思いを馳せたいと考えます。
私たちは本来、お花の一輪を創り出すこともできないし、自らの髪の毛一筋さえ増やすこともできません。
どんなに技術が発達しても、「作れないものはない」時代が来ても、「作れない何か」があるような気がしてなりません。
この世を、地球を、宇宙を、全てをおつくりになった神様を感じながら、たった一輪のお花を眺めて、つくられた私たちのこの世が平和であるように、ぼんやりと考える午後です。
この世は、全然、平和ではないのだけどね…