ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

卒業論文の思い出

大学4年生の頃、私も多くの人と同様に、卒業論文を書きました。

たいそう恥ずかしい出来上がりで、今となっては読み返すような芸当はできたものではありません。

 

最初は、キリスト教の死生観や死と葬儀に関わる問題をテーマにして、教会が死というものにどのように立ち向かっているのか、そんなことを書きたいと考えていました。

そのことを先生に話したら、「ではこの程度のものは読んでおきなさい」と、たくさんの参考文献の一覧表が手渡されました。

 

…とても読みきれませんでした…

 

根性のない私は、「もうこのテーマやめる」とあっさり引き下がり、次に興味のあった青年伝道の問題を取り上げることにしました。

「死と葬儀」から「青年伝道」、どうしてこんなに飛躍するのかわかりませんが、若かったのでもう良しとします…

 

指導教授から「アンケートを実施しなさい、アンケート。きっと面白い結果が出るに違いない」と言われ、回らない頭で考えたのは、

 

・教会に通っている若者

・教会に通っていない若者

上記2種類の信仰への意識の違い

 

…のデータをとってみようということでした。

 

果たして、アンケートは集まりました。

300名近くの若者(18〜25歳くらい)たちの貴重な意見を手にすることができました。

協力してくださったたくさんの友人たちに、ろくなお礼も言わないで…

 

集まったデータをどう料理したか。

もちろん読み返していないので覚えていません。

アンケートを取るときに大した仮説も立てていなかったので、結果を見ながら「楽しい!」(とても興味深かったのです)と面白がるだけでした。

なんというもったいないことをしたのやら。

今の私なら、もう少しマシなまとめをするだろう…きっと…と思います。

 

アンケートに付き物のグラフ類もどうやって作れば良いのかわからず、エクセルを使える人を散々にこき使って作ってもらいました。

グラフだけでなく、中身も一緒に考えてもらいました。

彼がいなかったら、卒業論文は出来上がっていません…情けない。

ごめんなさい、ありがとう。

 

とはいえ、この卒業論文

大学4年間で最も勉強になりました。

数多ある講義を居眠りしながらろくに聞いてもいなかった私ですが、卒業論文だけはかなり真剣に考えました。

読み返してみたら「真剣にやってこれ?」という出来のはずですが、本人基準ではがんばったのです。

だから、やって良かった…と今では思っています。

出来栄えはともかくとして。

 

 

惜しむらくは四半世紀も経った今、青年伝道について既に興味が薄れてしまったことです。

重要な問題であることはわかっているのですが、私の興味はやはり「死生観」や「死と葬儀」の問題の方にあります。

最初からがんばってそちらのテーマに取り組んでおけば良かったと思ったりもするのですが、これもまた私の若さと言いますか、弱さと言いますか、回り道でしたと思うことにしています。

そして今、その第一の興味に真剣に取り組んでいるかと聞かれれば、特に本を読んでいるわけでもないし、毎日の生活の中で頭の中をゆらゆらと漂わせているだけなのです。

 

それでも、年は取る。

周囲の人が、少しずつ亡くなっていきます。

それだけでも大きな問題提起を、私の脳みそにしてきます。

 

そして、気付きました。

死の問題は、「リアル」だと。

本を読んでどうなるものではなく(学者は別ですが)、実地体験として否が応でも取り組むことになる問題なのだと。

 

そう思ったら、やはりきちんと本を読みたくなりました。

読もう、なんでもいいから。

そう、まずは聖書から。

生と死と復活の書物から。

基礎は聖書です。

 

元日から始めた聖書通読。

順調に進んでいます。

 

ちゃんと大晦日に読み終わるといいな。