ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

2018年の夏、わたしは。

 

この夏は、非常に忙しい夏でした。

 

両親がどちらもドタバタと入院しまして、兄と共に奮闘していました。無事に退院してきて日常が帰ってきていますが、私自身も病気を抱えているものですから、その後、「忙しかった」で済むわけはなく。

 

日常が戻り二週間くらいが経過した今、過労で倒れています。

 

メンタルの病を抱えている者にとっての「過労」は厳禁で、せっかく長年かけて少しずつ貯金してきた体力を一瞬で消し去られてしまい、今や私は抜け殻。

 

30過ぎで複雑性PTSDによる鬱及び躁鬱になって以来、20年近く体力貯金をコツコツとためていたのに。それともこの入院騒ぎのために、貯金していたのだろうか、私は。

 

しかし、高齢の両親がふらふらになっている時にサポートしないわけにいかないので、がんばりました。兄が積極的に助けてくれたので、兄がいてくれて本当に本当に良かったです。一人だったら私も入院してました(実際に一度は救急車呼ばれました。乗らなかったけど)。

 

忙しい間は自分のことなんか気にしてる場合ではないので、疲れているなんてよくわかりませんでしたが、終わってみたら大変な疲労がたまっていて、思い出すのは「初めて鬱が発症したあの頃のこと」。

 

何も考えることができず、意味もなく涙が出てきたり、シャワーを浴びることも面倒になり、食事もあまりしたくなくなり(親に心配かけたくないので、ガツガツ食べてます。だから大丈夫)。

 

はっきり言って、もうこの世からいなくなりたい。

 

なんて言うのは不謹慎です。ごめんなさい。

 

生きているのに、命を与えられて生きることを許されているのに、こういうことを考えるのは良くない。けれど、妙な飛躍をしてこういうことを考える病気なのだったと、久しぶりに実感しています。

 

いろんな原因を探しました。

谷山浩子さんのコンサートに行かれなかった悲しさで落ち込んでいるのかな?

万年筆グループのオフ会に行かれなかったから残念で落ち込んでいるのかな?

いやいや季節の変わり目というだけかな?

ただの暑さの疲れが出ているのかな?

 

どれも当たっていて、はずれています。

 

この夏の両親の入院のドタバタが過労の原因。

 

両親も80代の半ばです。これからはもっともっとこういうことが増えていくかもしれない。年のわりにはかなり元気な両親で、本当に感謝していますが、年は年です。

 

私は30代はじめで人生に躓き、結婚も仕事もサヨナラして、親の保護の下でひたすら療養ばかりの毎日でした。

躓く理由にはかなり大きな傷の体験があったからなので、病気の酷さもそれなりのようです。

鬱だって、もっと早く治ったり、仕事をしながら治療したりできる人もいますが、私の場合はその段階まで行かれませんでした。

家で抜け殻になって休んで、病気にとてもとても理解のあるお友達とたまに会ってお茶したりして、一度そういうお楽しみで外出すればまた一ヶ月は寝込み…という繰り返し。

 

見た目は凄く元気そうに見えるんですよ!

だからわかりにくい!

(どこが悪いの?)って目で見られるのはもう慣れてる!

 

見た目は元気そうで、さらに「いざという時」には、火事場の馬鹿力が出せるのです。

出したら最後、後で過労で今のような状態になるのですが。

また休むしかないのですけれど、ね。

 

私はずっと、人生に失敗したと思い込んでいました。

人に言えないような影の暴力被害に遭ったり、結婚してもDVで離婚したり、こんな病気になったり、仕事も辞めざるをえなかったり、世の中の多くの人がやっていることができない人生の落伍者。

生きてる価値あんの?

いてもいなくても同じじゃん?

だって、何も生み出してない。

消費するだけの、無駄な生き物。

 

でも、この夏のドタバタで、私は生きた。

 

役に立ったんですよ、人の。

人って、家族ですが。

仕事なんかしてなかったから24時間体制でスタンバイできたし(夜は寝てましたが)、結婚なんかしてなかったから親に集中できたし、何より私の頭の回転は速かったはずだ。

使い物になったんですよ、この病人が。

 

…役立たずじゃなかった。

 

役立たずじゃなかったんだ。

 

人生に失敗した無駄な生き物じゃなかった。

 

このために、ここまで生きてたんだ。

 

私のために心を砕いて全てを提供してくれた親をいま助けることが、20年近く眠っていた私の存在意義でもあったのかもしれません。

 

 

順調な人生なんて、誰一人として送っていない。

みんな、何かに躓きながら生きている。

みんなみんな、それぞれの人生。

 

私もまた、私だけの人生。

誰とも違う、私だからできることをしているのだろう。

 

 

この夏は、とても疲れました。

だからもう、休みたい。

 

休んでいいのだと、自分を許してあげようと思います。

もう、自分を責めるのはやめたい。

よくやったじゃないか、役に立ったじゃないか、がんばったじゃないか。

家族もみんな喜んでくれてるはず。

 

あとは、私がよく休んで、少しずつ元に戻れるように貯金を繰り返すだけ。

 

 

うん、よくがんばったね。