ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

いつかまた、会えるかな

友人から、ショッキングなことを言われたことがあります。

 

「ホント、クチ軽いよね!!」

 

その時は、確かに失敗をしました。

何人もの人がいるところで、ある友達の秘密をうっかり口にしてしまったのです。

私はその事柄を「秘密にしている」ことを知らず、皆にとって周知のことだと勘違いしていたのですが、結果的にはとてもその人を傷付けてしまったと思います。

その証拠に、秘密をバラされたその人は泣き出してしまいましたから。

その様子をその場で見ていた友人が、私に対して「口、軽いよね!」と叫んでたしなめたのでした。

 

この一件は私にとって忘れられないつらい出来事で、自らの愚かさを実感せざるを得ない事柄でした。

口が軽い自覚は、ありませんでした。

「だって、秘密だなんて知らなかった…」

そんな思いでいっぱいでした。

けれども、私の軽はずみな一言で、その人にとっては人生において非常に重要なポイントを傷付けられてしまったのです。

 

口は災いの元だし、口から出たもので人を傷付ける。

 

私はそれ以来、かなり気を付けて話すようにはなったのですが、生まれつきの不注意さはきちんと直っているかは自信がありません。

 

NHKの朝ドラ「半分、青い」で、主人公のスズメちゃんが友人から言われていた言葉が、私にはグサリと突き刺さります。

 

『スズメの口は羽根より軽い』

 

ここまで言われると、さすがに傷付くでしょうが…

 

私の口も、羽根より軽いものだったかもしれません。

若い頃は、ですが。

今もわかりませんが。

とにかく、不注意ではあると思います。

 

 

その当時、「ホント、クチ軽いよね!」と叫んだ友人は、今でも友人ではありますが、私にとっては深い意味のある人です。

彼女は折にふれて、私に小さな苦言を向けてくれました。

時には沈黙をもって苦言を呈したこともありました。

彼女の前に出るのは、今となっては恥ずかしいほどです。

彼女には、私の弱さも愚かさも、全てお見通しだったのだと、今となっては感じられます。

同い年だけれども、とても大人でした。

今でも私よりずっと大人です。

 

 

会えばいつでも心地良く、何でも受け入れてくれる友人は、気持ちが良いものです。

しかし、彼女は違います。

会えば心地良く、何でも受け入れてくれます。

たくさん助けられてきました。

彼女のおかげで、何度も救われました。

 

けれども私にとってその友人は、心に突き刺さった棘のような存在です。

たくさんお世話になっておいて「棘」と表現するのは失礼千万なのですが、これは感謝を込めて言っているのです。

本当に大切なのは、私が不注意を晒した時に、それをはっきりと指摘してくれる人なのでは?

黙って「しょうがないな、この子は」とスルーするよりも、よほど愛情深いのでは?

もちろん、私の不注意に腹が立って、単純に怒った…のかもしれませんが、それでもとても重要なことを言ってくれたと感じます。

 

彼女には、心から感謝しています。

同時に、恩返しはできないなとも思います。

できることは、せめて自分に誠実に生きることだけ。

もう二度と、「クチ軽いよね!」と彼女に言われないように。

 

 

あの時から、私は少しは成長しただろうか。

 

していないとしか思えないけれど…

 

彼女もまた日々苦しみ、悩み、恥じ入り、様々な壁にぶち当たりながら、人生を歩んでいるのだろうと想像しています。

 

いつの日か、また親しく語り合える日が来ればいいなと思いますが、その日はもう来ないかもしれません。

来るかもしれません、わからない。

私自身がこんなに彼女を恐れないようになれば(恐れるという表現は適切ではないかもしれないが)、私が私でいることができるようになれば、また親しく会えるかもしれません。

 

 

できることは、自分であること。

自分を見失わないこと。

自分を大切にして生きること。

 

もう、長く語り合ってはいません。

お互いに連絡もしていません。

その方がいいのでしょう。

 

 

またいつか、会えますように。