ナントカとナントカとナントカ。
っていうと、「部屋とワイシャツと私」。
を思い出してしまう昔の人です。
こんにちは。
おはぎちゃんです。
表題の件につきまして、小一時間考えていました。
人類の永遠の課題、承認欲求。
生きさせてくれという生死に関わる欲求や、睡眠・食欲などの生理的欲求が満たされている人々が、次に求めてしまうもの。
私を見て! 認めて! 褒めて!
つまり、構ってほしい欲求ですね。
昔々、インターネッツがなかった頃。
パソ通とか、そういう世界に詳しい人だけがネットを使っていて、詳しくない人はネットの世界など知らなかったあの頃。
「承認欲求」などというものは、それほど問題にされなかった気がします。
人間関係は全てリアル。
家族や友人、知人の間だけで、その欲求は満たされていた時代。
見知らぬ人からの「いいね」や「リツイート」、「シェア」なんてものがなかった時代。
世の中は、もっと平和でした…(遠い目)
ネット社会が定着しても、多くの人は自ら発信する機会は少なかったものです。
あ、私は自己顕示欲が強いのか、自分のサイト作って(マックでページミル)、小説とか置いて、掲示板やチャットやICQ設置してましたが(インターネット老人会ですみません)。西暦2000年よりも前の話です。裏ページとか作っちゃったりしてね、はははは(老人会)。
私が自分のサイトを閉鎖しちゃった頃、「ブログ」とかいうツールが流行し始めました。
何かしら文章を綴って発信するのが好きな私は、エキサイトブログで日記をつけ始めました。何を書いていたかはもう覚えていない。
意外とコメントなんかも来ちゃったりして、楽しくコミュニケーションしていたような、していなかったような、もう忘れました。
しかし当時はまだ、「発信」しても、「拡散」はそう簡単にできないものでした。
ただ、書いてアップするだけ。
それが今ではどうだ。
SNSとかいう奴があって、フォロワーさんがたくさんいる人は、ちょっとつぶやけば、いいね!とかリツイート!とかで自然に拡散されていく世の中に。
これは物凄い変化で、「いいね」や「リツイート」は、自分が認められたり褒められたり、何となく目に留めてもらったような「快感」が目に見える数字となって現れるのですよ。
相手にしてもらった快感。
まさに承認欲求さんが喜ぶ餌ですね。
ネット社会になってから、「かまってちゃん」という表現が出てきて、もう長い時間が経ちます。
この「かまってちゃん」、要するに承認欲求のことですものね。
私も結構かまってちゃんなのですが、がんばって抑えています。
がんばれ、私。
昔々、インターネットがまだそれほど発達していなかった頃。
発信はブログ、程度しかなかった頃。
多くのネット民は、今ほど承認欲求に苦しめられていなかったような気がします。
承認されなくて、当たり前だったから。
書いてアップ!
終わり!!
それなのに今や、SNSの「いいね」がほしくて苦しむ人がいるという。
いや、「いいね」は嬉しいですよ?
でも、それがないからって、病むほどのことではないはずだ。
と、言えるようになってきた私は、病気がかなり良くなったのかもしれません。
メンタルの病をやっていると、SNSとの関わりがだんだん濃くなります。
何故なら、体調悪いので家にこもってるから。
必然的にパソコンやスマホがお友達になってしまいます。
少しずつネットの友達が増え、お互いに承認し合うことを繰り返し、そこから抜け出せなくなってしまう。
コメントがほしい。「いいね」がほしい。「リツイート」してほしい。誰か相手をしてほしい。
ひとりぼっちに、なりたくない…
メンタルとネットの関係は、とてもデリケート。
うまく使いこなせればいいけれど、多くの場合はドツボにはまりますよね。
SNSは、承認欲求を満たせる手軽なツールですが、満たせなかった場合に病みがひどくなる危険なツールでもあると思います。
でもブログは、言いたいこと言っていればいいし、コメントをシャットアウトすることもできるので(レスしなければいいし)、承認欲求とはあまり関係ありません。
承認欲求が満たせないブログなんか、やりたくない!
と、思うかもしれないけれど、やってみるといい。
承認されないことに、慣れてみるといい。
しばらく経つと、承認欲求のメーターが下がってきます。
これは、ほんとです。
満たしきれない承認欲求と、なかなかつかない「いいね」とのいたちごっこは、しばらく休んでみてもいいと思います。
ブログで叫んでみるのも、いいものだよ。
誰かに見てもらおうなんて思わずに、自分を整理する心持ちでやってみる。
楽しいよ、やり始めると。
インターネット老人の説教と成り果てました。
すみません。
お気に召しましたら、よろしくどうぞ。