ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

躁鬱病と付き合う(旅先で)

最初の診断は「重度の鬱病」でした。

しかし3年ほど経過したら、躁鬱病に診断が変わり、薬の種類も変わりました。

 

変更が起きたのは、なぜか。

 

躁転」したからです。

 

とある病院に「鬱で」入院していた頃。

私はいきなり、旅行の計画を立てました。

「函館へ、一人旅に行く!!」

大好きな北海道へ行って、函館でドラえもん列車に乗るためでした。

 

飛行機もホテルも順調に押さえて、二泊三日だったか三泊四日だったかで行く場所も決めて。

当時はまだネットで旅行を買うという手段はなかったので、駅まで行ってチケットを買ってきたり。

なんかいろいろ、楽しみました。

楽しんでウキウキで旅行準備。

入院中、ですよ?

しかも結構長期入院。

 

どこが「鬱」なのかと。

いや、自分でも忘れていました、鬱であることを。

山ほどの薬を飲んでるのにね。

そもそも病院で寝泊まりしてるのにね。

 

主治医との面談の日に、「旅行に行きます!」と宣言しましたが、当然だめだと言われました。

でも、どうやって説得したか覚えていませんが、主治医に「いいよもう行っても」と言わせてしまいました。

数日間の外泊許可をもらって、親にも「行くから!」と宣言して、行ってしまいました、函館。

 

一人旅は、なかなか楽しかったのです。

何せ躁転してますから。

なんだってできる感満載。

車の免許がないので、徒歩や電車やタクシーを利用しながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。

ドラえもん列車にも乗ったし、函館山のロープウェイにも乗ったし、教会の周辺うろうろ見て回ったし、買い物も楽しんだし、おいしいもの食べたし。

 

そして。

 

旅行の最終日、あとは帰るだけの朝。

 

 

雪……

 

 

低気圧と共にやってくる、鬱のお時間。

 

私は、荷造りも済ませて、あとは空港までのバスに乗ろうとロビーで座って待っていたのですが。

 

突然、身体が重くなり、動けなくなりました。

 

もう寝たいんだけど…なんで起きてんの私…

 

と思いましたが、さすがに遠い旅先です。

友達も知り合いも親戚もいません。一人です。

これは大変なことになった。

まさかこんなところで、躁と鬱がひっくり返るとは。

 

しかしこれが、躁鬱病です。

 

そもそもそんな病人がなぜ旅行に行けるのか。

躁転しているからです。

しかし、鬱に戻るチャンス(?)は常にある。

運悪く、旅先でそれに付き合う羽目になってしまいました。

 

私は必死に身体を起こして、疲弊した精神に鞭打って、なんとかタクシーをつかまえて、空港までたどり着きました。

そしたらまた運の悪いことに、雪がどんどん強くなる。

無事に飛行機に乗り込んではいましたが、いつになっても飛ばない。

一度は外に出されて、待つこと約4時間。

ようやく離陸して、1時間半くらいで羽田に帰ってきました。

 

その後のことは、もう覚えていない……

 

多分、家族とか病院の看護師さんとか主治医とかに、「無事に帰ってきてよかった」と言われたような気がします。

特に母親なんか、生きた心地がしなかったことでしょう。

娘が無言の帰宅とかしたらどうしようなんて思ってたはずだ。

 

鬱にひっくり返ったけれど、まだ何とか力が残っていて幸いでした。

 

楽しかったけれど、既に細部は記憶にない一人旅。

 

この旅の直後、主治医から言われました。

 

「あなた、躁鬱病だね。鬱の人は旅行なんかできないよ。今回のことも躁転だと考えれば、全てが理解できる」

 

それが私の診断名が変わった瞬間でした。

 

それから早15年近くが経過。

 

私と躁鬱病は、相変わらず一緒にいます。

 

 

躁鬱病と付き合うことって、こういうことです。

うまい付き合い方なんて、ありません。

唯一、大切なことは、自らの命を守る努力をすること。

これだけだと思います。

 

その後も軽い躁転から鬱への繰り返しはありますが、旅に出るところまでいかないので、まぁまぁかなと感じています。

 

躁鬱と、うまく付き合おうと思うな。

 

ただ、身を守れ。

 

身体が命を守ろうとする本能に忠実に。

 

 

私は自分に、いつもそんな風に言い聞かせています。