このブログは、誰かのためになればと思って始めました。
私の鬱や躁鬱の体験談が、何かの足しになるかなとか。
でも、セラピストさんに、その使い方はよろしくないと指導されました。
犠牲と奉仕の精神を発揮しちゃダメって。
そんなご立派なことはしてるつもりはないですが、その半端っぽい私みたいなのが一番ダメということでしょう。
というわけで、このブログは私のために書いています。
私が書くことが好きだから、書いています。
毎日書いているうちに、今さらのようにわかってきました。
やっぱり病気のことを書きたいみたいです。
鬱になったこと、躁鬱になったこと、複雑性PTSDであったと判明したこと。
最後の複雑性PTSDについては、あまり話すことを奨励されていないので、残念です。
私自身がまだまだフラッシュバックに苦しめられているので、そんな段階でシェアできることはない、ということなのかな。
複雑性PTSDについては、ググってください。
すぐ出ます。
私はこの複雑性PTSDがベースになって、鬱と躁鬱が症状として出てきたケースです。
複雑性PTSDが寛解したら、躁鬱も鬱も消えていくのだろうか。
それが、わからない。
複雑性PTSDって難しくて、私も自分でわかっていないのですが、長期間継続的に暴力被害に遭ったために起こる症状で、この被害に遭う以前の自分と、被害後の自分は、かなり引き離されて別人になっているらしいのです。
だから、寛解するとどうなるのか、私も本当にわからない。
そもそも、被害前の自分をよく覚えていないし、被害に遭ってる間の自分はもっと記憶があやふやです。
日常生活の様子は断片的に記憶があるし、どんな仕事をしていたとか、どんな人と会っていたとか、よく覚えているのだけど、長期間なのでボンヤリとしています。
そう思うと、暴力被害ってホント悪だよね。
遭っている間は、今現在暴力被害に遭っているって認識がないので、逃げるのにも時間がかかる……
悪です。悪。
加害者は一通り地獄に落ちるべきですね。
神のさばきを待つ。
私はセラピーで根気よく治療を受けています。
深呼吸とかツボ押しとか。
特に呼吸。浅すぎてろくに呼吸してないらしい(なぜ生きてる…?)。
複雑性PTSDの人って、どれくらいいるのかしら。
周囲にいても、黙っているからわからないですね。
私も、友達で話した人は少ないし。
もしここを読んでる複雑性PTSDの人がいたら。
黙ってうんうんと頷いてください。
私もここにいるよ。