ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

ふたつの孤独、闘いと祈り

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時々、言うに言えない「孤独感」に苛まれます。

 

両親と暮らしているのですが、隣に親がいても孤独ってありますよね。

ネットをしていても孤独です。

私はFacebookではお友達たくさんですが、ツイッターでは少ないので、そんなところにも孤独の種が。

お友達とオフ会などできると、ああやっぱり生で会うのはいいなあ、と一時的に孤独を忘れますが……

一人になると、一人です。

 

この孤独感、子どもの頃は気にならなかったのですが、大人になって、さらにメンタルの病を持って、だんだんと強くなってきた感じがします。

もちろん健常な人も、そういう人が多いのではないかなと想像しています。

 

深刻な孤独は、深刻です。

それは、この世から消えていくことに繋がります。

私もODをしたときは、誰からどんな声をかけられても孤独でした。

絶対の孤独。何もない。自分もいなくなる。

結果的にはこうして帰ってきましたが、ODでの一連の体験は非常に貴重なものとなりました。

深刻な孤独の、深刻な行く末です。

 

この孤独感は、完全になくすことは不可能です。

なぜなら、人はみんな一人だから。

人間の基礎として、孤独はセットになっていると思うのです。

このことは、人生を送っていくうちに、必ず全ての人が気づくことだろうなと感じています。

そして、人として成長していく上で、この孤独感をきちんと知っているかどうかは、とても大きなことなのではないかなとも思っています。

 

問題なのは、深刻な孤独のほう。

病的な孤独とも言えるかもしれません。

この世から消えていくほどの孤独感。

これは一体、どうすればいいのでしょう。

 

自死未遂体験者として言えることは、何もないです。

誰にも止められないほどの孤独感と希死念慮を、どうやって止めればいいのかなんて、私だってわからない。

わからないから、やってしまったのですし。

 

友達がどんなにたくさんいても、どんなに親身に声をかけてくれても、深刻な孤独に陥っているときは効きません。

誰にも、何もできないのです。

そんなとき、どうすればいいのか……

 

私が薬をたくさん飲んで、救急車を呼ぶ前に話をしたのは、二人の人でした。

セラピストさんと、お世話になっている牧師。

そのお二人が、救急車を呼びなさいと言ったので、がんばって119番に電話した気がします。

もう意識もあまりなかったのですが。

 

私には、心底信頼できるその人たちがいた。

でも、そういう人がいなければ?

どうなっていたのか、わかりません。

 

死に至るほどの孤独感と闘うには、どうすればいいのか。

 

 

私は毎日の闘病生活の中で、小さな孤独と向き合いながら、深刻な孤独がまたやって来ることがないように、祈っているのです。

 

 

 

 

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