ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

孤独と闘う午前2時

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この1月にODをやらかして以来、久しぶりに死にたい気持ちになっています。

きっかけは何だろう。

わかっているけれど、書きません。

自分が情けなくなるから。

(あ、満月なのも関係ある?)

 

要するに、疎外感と孤独感です。

この二つの感情は、自らの存在価値をざりざりと嫌な音を立てて削っていく。

同時に、人生の中で必ず何度もぶつかり、闘わなければならない感情なのです。

何かしらからの阻害と、何かしらの孤独、これらを体験しない人はいない。

人間であり、様々なコミュニティに属している限り、免れないものでしょう。

 

しかしそれは一時的なもので、翌朝起きたらなくなっていたり、誰かと話したりすればおさまっていたりするのです。

ところが、深夜に目が覚めてそのまま眠れなくなったりすると、夜の闇の大きさと、誰とも声を交えない寂しさで、マイナスの感情が強く働き始めてしまう。

精神の病を患っている人にとっては過酷な時間帯で、この夜を乗り越えることが大きな山となります。

 

こういう時、私はブログに自分をぶつけます。

せめて、何か書かなければ。

誰かが読んでくれるかもしれない。

読んでくれないかもしれない。

どちらでもいいから、書かなければ。

そうしなければ、自分を保てなくなります。

 

この命が今夜消えてしまっても、誰も心を痛めない。

誰も私を振り向いてくれない。

いてもいなくても、おんなじ。

 

……そんなはず、ないのにね。

どれだけたくさんの人が傷付いて、涙することか。

そういうことに気が回らなくなるのが、恐怖の午前2時です。

 

私は生きる価値がある。

生きていてもいい。

自分で言い聞かせるには、とても難しい言葉。

 

聖書の言葉なんか出されたら、一番危険です。

拒否反応を起こします。

エス様はあなたを愛しています。

わかってますから黙ってて。

(私、クリスチャンですが)

 

 

今、あなたと話したい。

きっと、起きているのでしょう。

忙しくしているのでしょう。

あなたが生きていてくれたら、私は嬉しい。

そう、あなたが生きていてくれたら、私は嬉しい。

 

そう思える人がいるから、この世に残っていよう。

 

あなたの知らないところで、私は今夜もがんばっています。

 

このブログをもしも読んでいたら。

 

私が生きられるように、祈ってください。