ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

死にたい気持ちリサーチ

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私は今、とても死にたいです(生きてます)。

 

何故か。

簡単です。

 

自分が誰からも必要とされていない(気がする)からです。

 

ここで括弧をつけるところが大事です。

「気がする」だけです。

誰も私のことを「お前なんかいらない」とは言っていません。

 

なのに、この「気がする」感覚は恐ろしいのです。

「気がする」だけで、それが世界の全てになるような「気がする」。

みんなが私を必要としていない「気がする」。

みんなが私を仲間はずれにしているような「気がする」。

そもそも最初から仲間ではなかった「気がする」。

てことは初めからひとりぼっちだった「気がする」。

 

ひとりぼっちだった「気がする」。

 

……

 

………

 

正しいじゃん。

 

人間なんか、みんなひとりなのです。

みんな孤独なのです。

もしも仲間だと思っているとしたら、それは錯覚です。

みんなみんな「ひとり」です。

ひとりが寄り集まっているだけの話。

楽しそうに見える彼も彼女も、ひとりぼっち。

 

問題は、その寄り集まっている状態に、うまく自分が溶け込めない状況だったりすると、頭の回路がショートする場合があることです。

 

例えば私のように、病気で外出できない人。

楽しい趣味のコミュニティに入っていても、多くの人が集まるオフ会(種類豊富、都心では選び放題)に行かれないことが多いです。

特にそのことにこだわらない日もあるのですが、体調が悪いと何やらこだわりが出てきます。

 

オフ会に行かれない!(←事実)

   (病気だから外出は困難)

みんな行ってるのに!(←事実からのズレ)

   (みんな=全メンバーではない)

   (行かれない人は他にも大勢いる)

   (そもそも遠方の人はどうすれば)

みんな楽しそう!!(←事実)

   (参加した人が楽しむのは当たり前)

   (私だって参加した時は楽しんでる)

私がいなくたっていいんだ!!(←飛躍)

   (誰もそんなことは言ってない)

   (むしろ「会えなくて残念」と言われる)

私なんかいなくてもいいのね!!(←ひがみ)

   (起こりがちな思考)

   (体調や機嫌が強く影響する)

もう死んでやる!!!(←もはや症状)

 

 

いやぁ、こうして文字にすると馬鹿らしい。

自分だって参加した時は、不参加の人のこと考えずに楽しんでるくせにね。

本当に都合のいい…というか悪いというか。

 

しかしここは笑うところではありません。

人間誰しもこの手の思考はあるのが当たり前ですが、最後の「もう死んでやる!!!」に至っては、明らかに病気の症状です。

心の病気ではない人(病気であってもその日体調が良い人)にはあまり起こらない発想でしょうが、病気でしんどい人にはしばしば起こります。

 

この「死んでやる」「死にたい」「もう嫌だ消えたい」という感覚にとらわれ出すと、病気の人は非常に危険です。

 

実行に移すからです。

 

たとえきっかけが上に書いたような馬鹿らしいことであっても、心身が疲れきっている病人にとっては、あっという間に実行への引き金になってしまいます。

 

これは、誰が悪いわけでもなく。

オフ会の参加者も不参加者も私もあなたも。

誰も悪くないんですね、これが。

全部、病気のせい。症状。症状!!!

 

この辺りまで書いて、ようやく死にたい気分が消えてきました。

 

乱暴ですが、セルフ認知行動療法の成功です。

認知行動療法とも言えないレベルですけど。

 

 

私は1月に薬で自殺未遂をしましたが、その時はこれだけの「死にたい気持ちリサーチ」はできませんでした。

頭も身体も心も疲れ切っていた。

そういう時は多分、止めるのはとても困難。

 

けれども、完全に実行に移すまでに、間に合う場合もあります。

今日のように、なんとか「死にたい気持ちリサーチ」ができる時。

それを手伝ってくれる人がいたり、近くに見張っている人がいたり。

「その思考、事実と違う!!」と、なんとかして踏みとどまれる時。

 

その段階の人って、たくさんいると思います。

まだ間に合う人。

まだまだ間に合う人。

間に合うよ!!

間に合って!!

 

 

私は今日も生きられるみたいです。

これを読んでいるあなたも、今日は生きている。

 

 

きっと、明日もね。