ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

鬱になるきっかけ

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私は躁鬱病ですが、薬が効いているのか、軽く軽く軽躁にはなりますが、長らくひどいハイにはなっていません。

一番ひどかったのは、入院中に一人旅に行ってしまったことくらいです。

他にもあったとは思いますが、忘れたいので忘れたことにします。

かなり上がり下がりの波はあるのですが、まあ……まあ許せる範囲内でしょう。

(自分でそう思ってるだけかも)

これは多分、薬(デパケンか?)がそこそこ合っているということかも。

そんなにたくさん飲んではいないのですが。

 

ここ数年は、むしろ鬱の方が強いです。

主治医のところに行って、「すんごい鬱です」とよく報告します。

すると、主治医は必ず私に聞くのです。

 

「きっかけは?」

 

鬱状態になったきっかけは?

 

え?

 

きっかけ……

 

きっかけは、あります。100%あります。

必ずあります。

 

とても疲れることがあった。

どこかへ遠出した。

複数の人と会った。

天気が悪かった。

嫌なことがあった……

 

嫌なことがあった。

 

だいたいこれです。

 

しかしこの嫌なこと。

ほとんどの場合、口に出すのも嫌なことが多いのです。

だから主治医に話すのも、思わず「ぐっ」と口を閉ざしてしまう。

言葉を濁しながら、なんとか伝えるけれど。

だいたい軽い説教を受けてしまいます。

 

なんでそんな変な人と付き合うの。

なんで自分の秘密を話しちゃうの。

ネットのやり過ぎ。

あまり他人を信じすぎないの。

同じことを繰り返さないの。

 

主治医の方が正しいことを言っているので、文句も言えません。

はぁ、またやってしまった……

反省です。

 

私の主治医は厳しい人なので、バッサリと説教します。

他の患者さんには怖いと言う人もいるかもしれませんが、私にはその厳しさが合っているのでいいのです。

合っているというか、主治医の愛情を感じられるので、信頼しています。

大してひどい状態でなければ「はいはいじゃあまた来週ね」というドライさですが、ひどい時は長い時間をかけて話を聴いてくれます。

その見極めがほぼ確実なので、私の方が逆に「先生がこうだから、私は今この程度の病状なんだな」と認識するレベルです。

 

しかし、この「きっかけ」。

これを話すのが嫌で嫌で……

 

嫌なことって、少しの嫌なことならいいのですが、自分が「みじめ」になるような嫌なことは口にしたくないものです。

みじめで情けない自分と向き合いたくない。

こんな情けないことを感じているなんて、恥ずかしくて知られたくない。

とは言え、きちんと伝えないと、主治医が正しい判断ができない。

 

でも、言いたくない!!

 

この葛藤が、しょっちゅう起こります。

それくらい自分は情けないのだなと、しみじみ思います。

 

 

少し上がっていたものが鬱に陥るのには、たいていきっかけがあります。

ないようで、実はあります。

上がり気味だったのが、「何かのきっかけ」で落ちるのです。

主治医からは「落ち気味で安定してると一番いいんだけど」と言われたこともあります。

上がって落ちるよりは、最初から「低め安定」が良いのでしょうね。

 

生きていると、様々なことが起こります。

どこに落ちる「きっかけ」が転がっているかわからない。

転がっている石ころを消すことはできません。

ならせめて、少しずつでも避けて歩くしかない。

 

……無理よね。

 

無理だけど、気を付けないと、です。

 

転がってる「きっかけ」、消えてほしい。

 

ここから発展して、「もう消えたい」につながることがあって、危険なのです。

 

 

いやいやそこまで行く前に。

 

せめて自分と向き合おう。

 

 

 

という話は、また次回に。