ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

暴力とアイデンティティ

 

hammerklavier.hatenablog.com

 

 

仕事上、クラス内のつきあいはどうしようもないのですが、プライベートのつきあいは自由なので、できればなるべくストレスなくお友達とつきあいたいですよね。

誰もが望むことだと思います。当然のことです。

 

当事者研究を始めて7ヶ月。様々なものが目の前に明らかになってきました。過去の人生で受け続けた暴力、被害者である私の側にある問題点(いじめられる側にも問題があるって言ってるわけではないよ)、加害者側の問題点、暴力を受けることによってできた多くの心の歪み、そして私からの被害にあった人もいる。

 

果たして、加害者は加害することによって被害者になることはあるのだろうか。

 

私に暴力を振るった人の中には、加害した意識のない人もたくさんいます。逆にかえって自分が被害を受けたと思っている人もいるでしょう。そういう人はこのブログを読んでいるかどうかわからないのですが、読んでいたとしても、もう私にはかかわらないでくださいね。私もあなたとは一切関係ありませんから、もう。もし私からの被害にあったと思っていたら、自分の判断で私の関係ないところで適切な治療を受けて、幸せになってください。それがお互いのためです。あなたから謝罪がほしいとは思っていないし、関わりあわないことが最大のアレですからね。

 

って、マジでそういう人が読んでたら、シャレにならない。いいけどね、別に。

 

そう、もはや私は思わない。「謝ってほしい」とは。最大の加害者である人物にも、もう謝罪せよとは思わなくなりました。いやはや当事者研究すごい。あれだけ復讐の塊だった私を、ここまで変えてしまった。認知の歪みがぎゅぅぅぅぅぅぅぅんと修正されていく音がする。急速な修正なので、逆にまた歪む可能性があるために、ここからさらに慎重な研究、治療が必要です。

 

最近の当事者研究でもっとも大きな発見は、上掲の記事の内容です。

もうね、好きな人としかつきあいたくないし、好きな人を毅然とした態度で決めたいのですよ。今まではすぐに他者にへいこらしていた私ですが、もう嫌だよ。本当に自分ってものを大切にしていなかったです。症状なので仕方なかったのですが、長い長い間、気の毒なことをしました自分に。暴力にあっちゃったので、認知が歪みに歪んで、PTSDだけでなく鬱症状や躁鬱症状まで出てしまったのが私という存在。いやごめん。ほんとにごめん。悪いことをしたよ自分にね。そんなこんなで人生の秋にすっかり入ってしまっています。

だからねもうね、決めたの。楽しいことしかしないって。もう楽しいことしかしないし、好きな人としかつきあわないって決めました。これ決めるの、大変だったですよ。何十年もかかったのですからね。

 

恐らく若いころから自我のはっきりした人なら、それほど意識しなくても自然にやっていることかもしれないのですよ、自分で決めるって。でもそれがなかなかできるようにならない大人もいるということです。私自身が五十代間近になってようやくですから、他にもできなくて苦しんでいる人はたくさんいると思われます。大丈夫、少しずつだよ。きっといつかは落ち着いてきて、できるようになる。

 

アイデンティティ」って言葉がありますよね。

私、あれの意味がわかりませんでした。わからずに知ったかぶりして使っていたのですが(まあそれでもいいっちゃいいのですが)、最近ちょっとばかり実感としてわかるようになってきました。「自己同一性」という日本語に直してもわからないのですが、自分自身の実感としてわかる感じがあります。

アイデンティティってあれね。要は自分で好きなもの嫌いなものを決断できるかどうかのあれね。「私はこうです」と言えるかどうかのあれ。あれあればかりですみません。でも、あれでしょ。そんな感じ、するでしょ。

つまり、他人に振り回されない自分、って感じのあれです。

ま、ちょっと違ったとしてもいいです。実感が大事だと思います。

 

多分、圧倒的な暴力にあうと、このアイデンティティが破壊されるのではないかなと感じています。もともと自分というものがぼんやりしている人が暴力にあったら、なおさら破壊されつくして、回復にものすごく時間がかかるのでしょう。回復した後は元に戻る場所がないから、新生復活しないといけないし。とても大変なことです。

 

暴力って、びっくりするほど簡単に、そこらへんに落ちてるね。いじめ、ハラスメント、DV……人間が複数人生きている限り、滅亡することのないもの、それが「暴力」。

 

私は一応キリスト教を信じていますが、多分、死んで天国だかどこだかに行っても、これらはなくならないんじゃないかって思うことがあります。なくなったら万々歳だけど、死んだ後のことはわからないから何とも言えません。一度だけ意識不明の重体になったことがありますが、あのときの記憶は「真っ黒の暗闇」だけでした。あれが「死」の前兆なのかしらん。今は生きていますけど。

 

たくさん苦労した私も、無事に回復しつつあります。アイデンティティってやつも少しずつできているのではないかなと思ったりしています。暴力って、やはり怖くてつらいよ。永遠になくならないものだってわかるから、余計につらい。

 

私はそのループからイチヌケしたいんです。します。

 

で。

 

今日のお昼ご飯には、セブンのナナチキ食べるよ。