ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

歌舞伎町追悼

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 あの頃、私はひとりぼっちだった。

 

ひとりぼっちではなかった時代などどこを探してもないのだけれど、人生においてもっとも思い出したくない、自分自身が小さく汚れて異様にちっぽけに感じられたあの頃、私は今よりもっともっとひとりぼっちだった。日本一と言われるほどにたくさんの人が行き交う雑踏の中で誰かと一緒に歩いていても、私がひとりぼっちであることは誰にも止めることはできず、打ち消そうとしてもどうにもならないほどに私は本当に本当に「ひとり」だった。

 

あるときは少しばかり見目の良いアマチュアカメラマンであり、平凡で小柄なサラリーマンでもあった。またあるときはとても背が高く体格の良い笑わない男であり、ハンサムなヒモでもあった。駆け出しの美容師だったこともあれば、料理の上手なシステムエンジニアだったこともある。数にしてみればせいぜい6人だか7人だかの、人によっては多いか少ないかもわからない人数だ。彼らは皆、一度は私と肩を並べて歩いたが、全員が現在はどこにいるかもわからない。正直言えば本名も知らないし、年齢も住所もよくわからない。それでも私はほんの僅かな瞬間でもひとりぼっちであることを忘れさせてくれるのならば、どこの馬の骨だかわからなくても構わなかったのだ。

 

出会いはネット、初対面は新宿、別れは歌舞伎町の片隅。誰も私を振り返らない。誰も私を必要としない。誰もが、帰る家を持っていた。

 

私にも帰る家は、もちろんあった。その家は今も変わらず私を待っていて、私はあの頃よりも年老い、私よりもずっとずっと年老いた両親と共に暮らしながら、少しずつ少しずつ全ての人に近づいてくる死を待っている。そう、あなたにもいつか必ず。

 

 

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 歌舞伎町は世界で一番嫌いな街だ。我が家からほど近い場所にあるにもかかわらず、私はもう二度とあそこへは行きたくない。歌舞伎町に残っているものと言えば、ひとりきりで立ち尽くす私の空虚な映像だけだからだ。私はまだ若く、とても痩せていて、グリーンのカラーコンタクトを入れていた。目に合わないコンタクトレンズはとても痛くて、つけて一時間もすれば涙が止まらなくなった。はずしてしまえば楽になるのに、私は歌舞伎町へ行くときは必ず目を緑色にして行った。そうしなければ見てはならないものを見てしまうからだろう。目の玉は緑色になったのに、私が見ている景色は緑色にはならなかった。そうなればいいのにと、いつも思っていた。

 

暴力は、連鎖する。かつて受けた暴力は、そのまま未来も繰り返す。新宿の街で受けた暴力を、私は歌舞伎町で再び受けた。殴られても殴られても私はうずくまり続けた。私には、そうする必要があった。今度こそ。今度こそ。次こそ成功しますように。成功とは何か。自分自身にもわからない。白馬に乗った王子様が助けに来てくれることだったのかもしれないし、暴力の果てに殺害されることだったのかもしれない。現実に王子様は来なかったし、殺害されることもなかった。

 

笑わない男は、歌舞伎町の三叉路で私を放り捨てた。私がうっかり黒いカーディガンを道端に落として拾っている間に、「じゃあ俺はこっちから行くから」と一言おいて消えていった。一緒に歩きたいなどと思いもしなかったが、放り捨てられた瞬間に、私はこのカーディガンのような女だと感じた。そのまま放置してたくさんの足に踏まれて、ぼろぼろになって廃棄される。生まれて初めての屈辱だった。屈辱ならば、山ほど受けてきた。それでもここまで屈辱だと感じたのは初めてだった。今となっては良い経験だが、する必要のなかった経験でもある。

 

誰一人として、私を必要としなかった。私という存在を喜びもしないし、哀れみもしない。お互い様だ。私もまた、馬の骨たちのことなどどうでもよかったのだから。いま彼らのうちの誰かに遭遇しても、顔すら判別することはできないだろう。それでいい。

 

緑色の目をした私が見ていた新宿の街は死んでいた。私もまた、死んでいた。どうして今もまだ生き残っているのかわからない。きっと、やるべきことが残っているのだろう。放り捨てられた黒いカーディガンにも、恐らくプライドがあるのだ。ある日を境に、私はカラーコンタクトをつけることをやめた。ケースに入れたまま何年も何年も放り出されていたコンタクトレンズは、いつの間にか干からびた。干物になったレンズを直視することはできなかった。それは私のかつての姿だからだ。涙が出るほど痛々しく、気の毒なほどしおれていただろう。中身を見ることなく、ごみ箱に捨てた。

 

あの頃の負け犬が、今も負けていると思うか。「誰のせいでもない」と言えるほど、私は大人ではない。憎しみは消えないし、恨みを消そうとも思わない。死んだら天国に行けるなどと思うな。お前の罪は帳消しにはならないのだ。いつの日か、悔いろ。

 

緑色のコンタクトレンズを捨てて年老いた私は、自由になった。歌舞伎町へ行くことはもう二度とないだろう。あの街で捨ててきたものは、決して拾ってはならないのだ。

 

墓場まで持っていくもの。

あなたにも何かがあるように、私にも、ある。