ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

歌うのは誰のため

f:id:hammerklavier:20190520052155j:image

 

幸せになると、歌えなくなる。満足すると、書けなくなる。明日あなたが小説を書かなくなっても、何もおかしいと思わないと言われたことがある。自分の中の何かがフルになると、今までやっていたストレス解消法が全く必要なくなるタイプなのかもしれない。この世には書かずにいられなくて宿命のように書き続ける人もいるというのに。自分自身では書き続ける人だと思い込んでいたけれど、意外とそうでもないことに最近気づいてきた。

 

合唱団で歌わなくなって、もう15年くらいになる。かつてソプラノパートを担当していた声はすっかり枯れて、高音を出すのはほぼ不可能になった。かと言ってアルトを歌うのも難しい。低い歌声は出ないのだ。話す声は結構低いのに。同様に小説と思われる散文を書かなくなってからも、長い時間が経過した気がする。歌にくらべれば少しは長く書いていたが、最近はめっきりだ。ほんの小さな短編を、お遊びのようにぱらぱらと書いてそれだけ。

 

若い頃は、毎日のように夜中まで小説を書いていた。作家になれると思ったことはない。なりたいと思わなかったわけではないが、才能があるとも感じられなかった。才能があるのならば、もっともっと物語が紡げたことだろう。私が書いていたものは、売れている小説の二次創作、キャラクターと設定を借りてきたただのニセモノだ。それでも書くことが楽しくて、毎日毎晩仕事が終わればボンダイブルーiMacに向かい、カタカタ、カタカタとキーボードを打ち続けた。できあがれば自らのホームページに掲載し、多くの人々から読んでもらうことができた。感想をもらえることもあった。励まされて、また書いた。書くことが、楽しかった。書くことしか、楽しくはなかった。私の毎日は、暗かった。

 

自らは文章を書かないが、評論に優れた年上の友人と親しくなった。彼女は多くの作品を読み評した。私の作品も丁寧に読んで評価してくれて、とても嬉しかった。彼女の評価が高ければ、なお励まされてがんばった。彼女からの評価のメールを保存しておけばよかったのに、残念ながら一通も手元に残ってはいない。それはそれでいいのだろう。若き日の思い出はぼうとした記憶としてほんのりと手元にあればいい。

 

その後、私はオリジナルの小説も書くようになった。もっと体力があれば完結させられるだろうに、10年近く前から書き続けていた未完の一作が気になっている。どうしても完結させたいのだが、書くだけの気力がない。ここに、「書き続けられない私」が存在する。明日、書かなくなっても誰も不思議に思わない。書かないでいる私でも、特に問題はない。

 

この三日間(正確に言えば一日だが)、書いていたかつての自分をもう一度探すように、散文を綴っている。そう、私は書いていた。書くことが好きだった。書くこと以外、好きではなかった。学問もなく教養もない私がたった一つ悪くないと思っていたこと。それが自分の文章力と言葉選びのセンスだ。不特定多数が認めてくれなくても、華やかな場所で目立たなくても、私の文章がいいと感じる人に届けばそれで構わない。書く人と読む人には、相性がある。私と相性のいい読み手がいれば、届いてほしい。自信はないが、悪くない。その程度の気負いで、私は常に何かを書いている。誰かと比べることもなく、ただ自分の書くものは悪くない、そう思っているだけなのだ。

 

幸せになると、歌えなくなる。満足すると、書けなくなる。いま私はどちらかと言えば満たされているから、もう書けないのかもしれない。未完の小説も、このまま忘れ去ることになるのかもしれない。けれども不思議なもので、何年も経過してから再び取り組むことはある。未完の一作も、いつかは完結の日が来ることを願っている。完結したからと言って、何が変わるわけでもない。ただ誰にも知られていない物語が終わるだけの話だ。そこにあるものは、作者の自己満足とわずかな成長だろう。書く人は、自分自身のために書くのだ。それが誰かに偶然届けば、少しだけ嬉しい。その程度。

 

ウケのいいものなど、書けない。自分のいいようにしか、書けない。だから私は、プロにはなれない。かつて作家になりたいと少しばかり思っていた気持ちも、今は消え去った。作家を名乗らなくても、ライターを名乗らなくても、私は私にしか書けないものが書けるのだ。

 

私は私のために書き、私のために歌い、私のために生きる。