ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

シャンパンファイト

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勝負と名の付くものには、およそ勝ったことがない。試合と名の付くものもまた同様。私にとって何かに勝つということは、人生にまるで関係のないことのように感じる。

 

スポーツ観戦が好きだ。体操、スケート、スキー、大相撲、野球、テニス、駅伝、マラソン、それからそれから。これといった「推し」があるわけでもなく、ただ楽しく美しいから見る。スポーツをする若者は美しい。主催する大人たちは金に汚いようだけれど。ただひたすらに修業し、試合の一瞬にかけるその姿が美しい。何一つ勝ったことのない私の目に、彼らはテレビ画面の向こうで輝く宝石のように映る。なぜそんなにも一生懸命なの。どうしてそんなにも打ち込めるの。私が今までの人生で出会えなかったものに、彼らは出会ったのだ。心身をかけて打ち込める、何か。

 

全身をかけて、命すらかけて打ち込めるものに出会わなかった私には、何かが足りなかったのかもしれないと思う。それは意欲かもしれないし、根気かもしれない。忍耐強さかもしれないし、単に体力かもしれない。いや、希望だったのかもしれない。希望、夢、パワー。生きる力のようなもの。私という人間全体に、希望というものは皆無だった。夢のない子どもで、目標もない子どもだった。大人になったら、何になる? そんなことを聞かれても、一つとして答えられなかった。なりたいものがなかったからだ。足りなかったのだ。希望の光が。

 

 

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私の家族は、父と母、かなり年上の兄の4人だった。兄は結婚して別居しているが、父と母は今も一緒に住んでいる。夏休みや年末年始には、4人でよくゲームをやった。トランプ、花札ドンジャラ(麻雀の子ども版)、百人一首。いつも勝つのは父だった。父はゲームに強く、少しばかり負け始めても決してビリにはならなかった。常に最下位だったのは最年少の私だった。私の負け癖が家族のせいだとはまったく思っていないが、関係はあるかもしれない。勝つことは嬉しくないわけではないが、特にこれといった大きな喜びというわけでもなく、負けても一向に構わなかった。私は負けて当然なのだと思っていた。なぜなら、頭が悪いのだから。

 

今も、勝負は嫌いだ。ゲームで対戦するのは好きではない。負けるのが当然だからだ。なぜなら、私は頭が悪いのだから。

 

私の頭が悪いって? 誰がそんなことを決めたのだろうか。勉強ができないからか。成績が悪いからか。算数や数学が嫌いだからか。物理がわからないからか。英語が読めないからなのか。ドイツ語についていけなかったからだろうか。確かに関係あるだろう。子ども時代の勉強は、意外なところで役に立つ。勉強の意欲のない子どもは、とりあえず学校へ行っておいたほうが無難だ。記憶力のいい時代に、脳みそに詰め込んでおく必要のある情報も結構あるものだ。しかし本当の頭の良さは、そこだけではないだろう。どんなに学校の成績が良くてノーベル賞が取れるほどの頭脳があっても、頭の良くない人は存在すると私は信じて疑わない。勉強ができて、ゲームに負けなければ、それで頭がいいのだとは誰も認めてはくれないだろう。仕事中の不意の電話、不意の来客、ほんの小さなアクシデント、そういうものに柔軟に対応できて、融通が利いて、優先順位が理解できて、判断ができて、こそ、ではないか。その点では、私は自信があったのだが。

 

それでも私は、勝負が好きではない。負けるのが当然であり、負けに甘んじるのが私のつとめだと思っていたからだ。こんなにも理不尽な理屈があろうか。「負けに甘んじるのが私のつとめ」とは何事か。いくらなんでも、自分を低く見すぎていやしないか。

 

苦しい試合に勝ち進んで、最後の試合に勝って、喜びのシャンパンファイトに沸くのを憧れているわけではない。憧れてはいないけれど、それはどんな気持ちだろうかとふと思う。殴られ続け、負け続け、それが私だと思い込んでいた人生は、どこかで道を変えていたらシャンパンファイトの待つ人生であったかもしれないのだ。下戸なので酒を浴びたくはないが。

 

人生はあと何年残っているだろうか。30年か、3年か、それとも3日か。これから勝つ人生へとシフトチェンジするほどのパワーは持っていないが、せめて負けに甘んじることをやめたい。それも、直ちにだ。私は確かに、負け犬だった。遠吠えすらしない弱々しい負け犬だった。いつまでも負け犬でいるな。顔を上げろ。胸を張れ。声を出して吠えてみろ。私はここにいる、私は私だ、私はこの世にたった一人しかいないのだと。

 

スポーツ観戦が好きなのは、本当は勝ちたいからだ。負けたくないからだ。殴られたままで打ち捨てられる人生が、我慢ならなかったからだ。もう一度、殴ってみるがいい。もう二度と私は倒れない。

 

死ぬ間際のシャンパンファイト。それもまた、いいじゃないか。