ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

港区女子の秘密

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昔、港区南青山に住んでいた。そりゃもうホントに昔のことで、ベルコモンズができる前のことだ。私が住み始めて間もなく、ベルコモンズができあがった。家族で連れ立って、何度か遊びに行ったことを覚えている。これを読んでいる人の中には、もうベルコモンズすら知らない人も多かろう。あったのだ、青山の目立つところにそういうビルが。

 

ベルコモンズの最上階くらいに、当時はまだ珍しかったイタリアンレストランがあった。店の名前は「アルフィオ」といった。席に着くと、勝手に何本でも食べて構わないという、長くて細いパンのようなものが立てて置いてあった。塩からくておいしかった。さまざまなメニューを試したが、唯一強く記憶しているのは、ボンゴレビアンコだ。アサリのパスタ(白)ね。ニンニク風味のね。この「アルフィオ」という店はチェーン店で、存外にも長生きしていた。今はもうなくなっているようだが、20年前にはまだあったと思う。最後に行ったのは両親と、新宿の小田急ハルクの地下二階にあった店だ。

 

「アルフィオ」はともかくとして、青山ベルコモンズ。このベルコモンズのはす向かいあたりに、昔ながらの八百屋があった。その八百屋の息子は、私と幼稚園、小学校と同級生だった。小柄で目の大きな男の子で、私はまあちゃんと呼んでいた。私はまあちゃんのことが大好きで、よく一緒に遊んだ。まあちゃんも私のことを憎からず思っていたようだ。結構仲の良い友達だった。

 

青山にいたのは小学二年生が終わるまでだったのでそこまでの思い出しかないのだが、どこかの時点で小学校の同じクラスに転校生がやって来た。西さんという女の子だった。彼女は勉強も体育もよくできて、秀才だった。

 

ある日、数人の友達同士で、まあちゃんのおうちに宿題をやりに遊びに行くことになった。八百屋さんの二階の部屋にみんなで押しかけて、ワイワイと遊んだり宿題をしたりしなかったりした。私はそれとなくまあちゃんの隣に座ろうとしたのだが、まあちゃんはあろうことか「西さん、僕の隣に座って!」などとほざいた。私がほとんど隣にいるのに。もう座ろうとしているのに。私にどけとは言わなかったが、彼が指名したのは西さんだった。ちなみに、西さんの顔はまったく覚えていない。

 

さて、ここで私はどのように反応したか。怒ったのか、喚いたのか。プライドを傷つけられて、思わず立ち上がったのか。

 

私は、悲しくて泣きたかった。怒る気持ちは出てこなかった。ひたすらに、悲しかった。

 

話の流れでわかることだが、まあちゃんは私の「初恋の人」だ。恋なんて年齢ではないが、生まれてはじめて意識した異性だ。そのまあちゃんの隣にいるのは、私だと思っていたのだが、そうではなかった。初恋の人から「僕は君じゃなくてあの子がいい」と言われちゃったわけだ。怒ればいいのに悲しみの方が強く出た。この自分の反応は、私のその後の人生に大きく影響することになった。私は怒りに鈍い人間だったのだ。そのためにいろんなシーンで泥水をすすることになったのだが、まあそれはいい。

 

結局、まあちゃんは私のことが嫌だったわけではなかった。そのときは西さんと一時的に仲良くなっていたが、教室では出席番号の関係で常に私と隣同士だったし、私の転校が決まったときはとても悲しんでくれた。引越しの前の日に、わざわざ私の家までプレゼントの赤い両面ふでばこを持ってきてくれたりした。私にとっては、思い出の、忘れられない品だ。とっくの昔に捨てたけど。

 

東京よりもずっと西の地方に引っ越して三年間を過ごし、私は再び東京へ戻ってきた。青山からは少し離れた街だったが、そこでまあちゃんの噂を聞いた。ベルコモンズ近くの八百屋さんの息子でまあちゃんと言えば、どこぞの進学塾ではたいそうな秀才児として有名だったらしい。そういえば、勉強をよくする男の子だった。

 

まあちゃんは、元気にしているだろうか。今ごろは結婚して子どももいて、孫までいるかもしれない。仕事は何をしているだろうか。あの場所にはもう八百屋はないだろう。八百屋になったとは思えない。きっといい大学へ行って、いい会社に入って、いたって普通のおっさんとして生きているに違いない。いや、親の仕事を継いで八百屋になったかもしれない。目の大きな八百屋の親父かもしれない。どうしているだろう。私のことは、忘れただろうか。忘れただろうな。

 

覚えていたら、連絡ください。伝えたいことがある。

 

実は、あなたのことが、大好きでした。赤い両面ふでばこは、小学校を卒業するまで大事に使い潰しました。「引っ越すの、寂しいね」って言ってくれたこと、忘れません。

 


私の知ってる男の中で、およそ優しかったのは、あんただけだ。