ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

【BL】(4)月のかたちと二人のかたち

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(BLとは男同士の以下略)

(pixivより転載。昔書いたBL小説。全7話)

 

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 田中おでんはセブンのおでんとは比べ物にならないほど美味かった。このおでんが毎日食べられるなら、俺の秋冬シーズンは田中に捧げてもいい。と、俺はいつも同じような反応ばかり繰り返している。いい加減違う反応出せよと思うが、本当に美味しいので仕方ない。田中が女なら、迷わずプロポーズする。残念なのは田中が男で、しかも人間ではないということだ。さっきも目はらんらんと光っていたし、尖った牙でいろんなところ噛まれて痛かったし、新兵器の爪まで出されたりした。切ってあったはずの爪が突然伸びた。その爪でいくらか引っかかれた。加減してくれたらしく、それほど痛くはなかった。田中が徐々に獣になっていく。怖い。事が終わった後に少し身体を確かめたが、ちょっとこれはどうかしらと思う場所に異様な歯形が付いていたりした。既に俺の身体は田中の所有物になっている。思いきりマーキングされてる感じだ。
「そんなに気になりますか」
田中がおでんを食べた後の食器を下げながら、にやにや笑った。にやにやするな、スケベったらしいから。
「こんな身体じゃ、もうお父さんと一緒にお風呂に入れない」
「何言ってんですか、これからは俺と入ればいいでしょう」
「温泉にも行かれない。周りの人が見るから」
「じゃあ誰もいない深夜の貸し切り露天風呂にでも。どうですか」
「いいね、それ」
「露天風呂でヤるといい感じにのぼせ上がれますよ」
「嫌だ、それ。ヤるの前提とか」
「いいじゃないですか、減るもんじゃなし」
そうかな。何か減るような気がするぞ。俺の大切な何かが減っていく。それは何だ。男としての何かだ。
 あれ、珍しい。田中がコーヒー以外の飲み物をいれてきた。
「会社の人からハーブティーもらったんで。飲んでみません?」
ハーブティーか。無駄にファンシーなアイテムで、俺とは永遠に関係のないものだ。
「会社の人って、女の子?」
「そう、同僚の子。みんなに配ってたから」
「あんたの会社の女子はみんなにそんなものプレゼントしてくれるのか」
「やだなあ、またヤキモチですか」
「違う。何も焼いてない」
あったかいハーブティーとやらは、あまりピンとこない味だった。何となく寝ぼけたような。パンチに欠ける。それとも、ハーブティーとはこういうものなのか。
「これ、何の味?」
「わかんない。何かのハーブでしょ。つまり葉っぱでしょ」
「プレゼントしてくれた子に聞かなかったの?」
「聞いたけど忘れました。ハーブとか興味ないんで」
「その子、可愛い?」
「ああ、同期の中で一番可愛いかも。前、付き合ってた」
なんですって。今、何か聞こえましたが。
「付き合ってたの?」
「別れましたけどね」
「何で別れちゃうの。可愛い子ならもったいない。まだこうしてプレゼントまでくれるのに」
「俺だけじゃなくて、みんなに配ってたんですってば。もらいものらしいですよ」
「でも別れちゃうんだ」
田中が俺の手にあったカップを取り上げた。まだ飲んでるのに。カップが空中を通ってテーブルに辿り着くのを見ていたら、いきなり頭抱えられてキスされた。あの、ハーブティーの味がします。
「山本さんて、ちょっと女の子っぽいですよね」
何を言うか。れっきとした男だ。男なのに、男からキスされて平気になった俺は終わってる。
「あ、男だってことはわかってるんですけどね、そのヤキモチの焼き方が、高校生の女子っぽい」
「失敬なこと言うな」
「ごめんなさい。でも今日はよくヤキモチ焼く日ですよね」
「焼いてない」
「素直に認めればいいのに。他の人に俺を取られたくないんでしょ」
「田中さん、うぬぼれやさんですね」
「そんなことないです。山本さんが嫉妬深いだけです」
 認めない。断じて認めないぞ。俺は絶対にヤキモチなんぞ焼いてない。さっきのスーパーの美人だって、田中の会社の同僚の可愛い子だって、むしろ羨ましい。俺も美人にナンパされたいし、可愛い同僚と付き合いたい。男とヤるより女とヤりたい。という表現をすると、品が悪くて自分が嫌になるので言わない。もうこうなったら、会社の女子の誰かに好きですって告っちゃおうかな。でも、別に付き合いたい奴がいない。LINEやってないってバカにされるし。微妙に悔しい。
「…俺は女と付き合いたい」
「えっ、そんな心にもないこと言って」
「男よりも女だろう、やっぱり」
「山本さん、俺がいるから何も女の子と付き合うことないですよ。身体持ちませんよ。ちょっと冷静に考えてみてください。あ、俺絶対山本さんと別れませんから。あなたはもう俺の虜」
さらっと気持ち悪いことを言って笑う田中は、目を金色に光らせる。そうか、別れるとこの目が見られなくなる。それはちょっと惜しい。綺麗なビー玉とかおはじきとか、そんなものを見るような気分だ。今日一日会社にいて、どの人間の目を見ても日本人色で、少しつまらないと思った。この目の色と同じ目を持つ女の子がいたら、どう感じるだろうか。…想像できない。
「その目さあ…」
「は?」
「舐めてみてもいい?」
何を言っているのか、俺は。他人の目を舐めてどうする。食べられるものじゃないんだぞ。
「え、目ですか。そうだなあ」
「普通の色じゃないから、味も普通じゃないのかと」
「うーん、ちょっとだけならいいですよ。白目の部分舐めてください、黒目舐められると痛いんで」
「あ、いいんだ、舐めても」
「舐めて後悔しないでくださいよ」
よくわからないOKが出てしまったので、実行に移さねばならなくなった。至近距離で金色の目を見ると、眠くなってくる。いやそんなはずはないな。それでもこの目の色で何となく腰砕けになる俺は、やっぱり終わってる。そっと舌を出して、田中の目を舐めてみた。え? 何この味。もう一度、舐めてみる。え?
「ええええええ」
「大げさですね」
田中は舐められた方の目を手でごしごしとこすった。何ですか今の味は。
「な、何で甘いの? ていうか、何の味」
「俺味ですね」
「いや冗談やめて。あり得ない味だったけど。あんた何ですか」
「何を今さら。狼男だって何度も言ったのに。信用ないな」
「も、もう一度舐めていい?」
「いいですよ」
俺ははっきり言ってがっついた。目の中なんて舐められる面積は少ないのに、右も左も何度も舐めた。そのたびに田中は黒目を動かして大変そうだった。
「…何この味」
「だから後悔しないでくださいよって言ったのに」
激しい後悔が俺を押しつぶす。舐めなきゃ良かった。この味、一生知らなくて良かった。信じられないほど、甘かった。ただの甘さじゃない。物凄くくせになる。この目の色だけでも見るのがくせになるのに、舐めてみたらドキドキするくらい甘かった。実際に俺はドキドキしていた。ドキドキが耐えられず、思わず田中に抱きついた。俺終了のお知らせが鳴った気がする。
「まだ、他の女の子と付き合いたいですか?」
「…いいえ、別に」
「うわ山本さん、凄いドキドキ言ってますね、心臓」
それ言うな。自分でも怖い。もうすぐ死ぬのかってくらい心臓の鼓動が速い。息が苦しくなってくる。凄く凄く物凄く不本意だったが、俺は自分から田中にキスをした。そうしなければ生きていけないような感じがしたからだ。あ、口の中も似たような味がする。おかしいな、さっきはハーブティーの味がしてたのに。ダメだ、くせになる、この味。
「田中さんて、美味しいですね…」
「まあね」
「その味、どっから出てくるんですか」
「人間じゃないので。うまく説明できませんね」
「ごめん、誰にも渡したくない」
田中は妙に明るい声であははと笑って俺を抱きしめた。俺は完全に終了した。これはまず間違いない。胸が苦しい。何この魔法。
「魔法なんか使ってませんよ、別に」
「心読むな」
「あ、すいません。ねえ、ベッド行きます?」
明日も仕事なのに。今日まだ月曜日なのに。俺もうこのままニートになりたい。仕事行くの嫌だ。こいつと一生こうしていたい。けど、あんまり深夜までこうしているのもどうかと思う。
「今、何時?」
「10時半くらい」
「その時刻、微妙過ぎるだろ…」
「そうですね。どうします? ベッド行きます? それとも自分の部屋に帰ります?」
考えるのが億劫でしょうがない。俺はもしかしたらこのまま社会復帰できないかもしれない。会社に行ったらエクセルの操作方法忘れてるかもしれない。四則演算間違えるかもしれない。絶対仕事にならない。
「…帰りたくない。もう好きにして。ていうか抱いて」
「おお、自分から言った。すげえ。もう俺のもの?」
「それでもいいです。もうどうでもいい。めちゃくちゃにして」
「うわあ、凄い変わりよう。まあ嬉しいですけど」
 田中の新兵器は目の粘膜の味だった。この味、他の誰にも味わわせたくない。俺だけのものにしたい。でも多分、前に付き合った奴はみんな知ってるよな。俺が最後かよ。物凄く悔しい。今、俺は嫉妬している。しかも誰彼構わず。ああ、腹立たしい。何故もっと早く巡り会わなかったのか。子どもの頃から知ってれば良かったのに。タイムマシンに乗って昔に帰って、子どもだった田中を探し出したい。

 

 


 今朝、俺は転落の一歩を踏み出した。
「すいません…ちょっと具合悪いんで、休ませてください…明後日は行けるようにします、はい…」
キッチンでは田中が相変わらずオムレツを作っている。おい、鼻歌やめろ。電話の向こうの上司に聞こえたらどうすんだ。
「はい、すいません、ありがとうございます…はい。じゃ、失礼しまーす…」
ああっ!! どうすればいいんだ、俺は有休を取ってしまったじゃないか。まだ火曜日だぞ。月曜日に仕事に行っただけだぞ。こんなことしていたら、本当に職あぶれてニートになるぞ。
「…一日くらい休んだって死にゃしませんよ。何をそんなに苦悩してるんですか?」
ピカチュウ色のオムレツが乗った皿を持って、田中は呆れた声を出す。
「お前、仕事サボるのに罪悪感ないんですか?」
「別に。繁忙期じゃないし。それより山本さんと爛れた生活する方が百万倍楽しい」
「爛れた生活とか言うな」
正直、田中の言っていることの方が正しい。とっくの昔に俺と田中は爛れてる。出会ったばかりなのに。愛し合うのに時間必要なさ過ぎだろ俺とこいつ。出会って何日? もしかしてたったの十日くらい? もう嫌だ俺の恥知らず。
「食べないんですか、オムレツ」
「…食べます。餌付けされてますから」
「山本さん、どんどん正直になってきていいですねえ」
「うるさい」
田中のオムレツ食べるの、これで何回目だろう。数えようと思えば数えられるけれど数えたくない。これから先、何度オムレツが食べられるだろう。え、俺たちいつか別れるの? あまり考えたくない。黄色いオムレツに箸をつける。
「美味しいですか?」
「美味しい…けど…」
「えっ、何か問題あります? 塩加減ダメだった?」
「いやいやいや美味しいです。美味しい美味しい超完璧」
「…どうかしたんですか? ホントにどっか痛いの?」
どこも痛くはない。多分。いや、どこか痛い気がする。どこですか。
「ああ、わかった。山本さん、それは恋煩い」
田中が箸で俺の顔を指差した。だからそういうことするな、礼儀知らず。
「なんだよ、恋煩いって」
「俺といつまで付き合えるかとか、後ろ向きなこと考えてません?」
「…心読んだの?」
「あ、当たりだったか」
心読んだわけじゃなくて、顔色を読んだのか。何でも読まれていてつまらない。俺は田中の心の中も顔色もうまく読めないのに。結局最初から、ダダ漏れなのは俺の方だけか。
「大丈夫ですよ、かなり長い時間かけて山本さんのこと狙ってたんで。俺も頑張ったんです」
「何を頑張ったんだ」
「いやあ、チャンスはいくらでもあったんですけど。なかなか声がかけられなくて」
意外だ。田中だったら、狙ったら一瞬で声かけそうだけど。
「そんなに時間かけなくても、俺なんかちょろいからあっという間だろ」
「そんなことないですよ。前の彼女と切れるまでずっと待ってたし」
「えっ、そんなに長いこと?」
オムレツの最後の一口を食べようとしたところで、かなりびっくりした。前の彼女って4年以上前じゃないか。俺ですらもう忘れかけてたのに。何だよもっと早く言ってくれよ。そしたらこの4年ずっと付き合えたのに。
「ま、その頃は俺も別の女の子と付き合ってましたけど。山本さんとアパートの入口ですれ違って、あ、もう女と別れようって思いました」
「何それ初めて聞いた」
「だって今初めて話してるんですから、当然です。オムレツ落ちますよ」
慌てて最後の一口を食べた。今日も安定の美味しさだ。この満足感、俺だけのものにしたい。
「俺の好みだったんですよね、山本さん。そのメガネが好きで」
え、メガネフェチですか。
「メガネかけてる男なら、腐るほどいると思うけど」
「メガネなら何でもいいってわけじゃないですよ、当たり前だけど」
「あ、そう。顔が好みだったのかな」
「うーん、バイオリズムみたいなもの?」
バイオリズム?…言われていることがよくわからない。
「何となく、呼吸が似てるんです。見ているものとか」
いよいよよくわからない。
「うーん、まあいいや。一目惚れです、つまり。ずっと隣に住んでたのか、損したなーって思いましたね、最初は」
「それを言うならこの4年ずっと損し続けてるでしょうが」
「まあね。でも狙った獲物は逃さないから、俺」
 食器を一緒に片付けながら、俺はずっと田中の話を聞いていた。そんなに昔から一目惚れで惚れられていたと思うと、悪い気はしない。が、田中が同性であることを既に認めている俺は、やっぱり昨日で終了した。
「でも、変なところで声かけたら怪しまれるでしょ」
「公園であんな風に声かけられても怪しかったけど」
「どっちみち怪しいですよね。今回ばかりはホント賭けたな。うまくいって良かった」
俺は複雑な気分だ。なし崩し的にここまで来てしまった感じがして、俺の意思がどこにあるのかわからない。
「コーヒー、もう一杯飲みます?」
「あ、俺がいれます。インスタントだし」
「え、地味に傷付く、その言い方。コーヒーメーカー買いますか?」
「いいですよ、俺もゴールドブレンド好きだし。常備してるし」
「牛乳も同じ銘柄ですしね」
「バイオリズムってその辺とか?」
「いや、ちょっと違う」
なんだ、そういうことではないのか。やっぱりよくわからない。
「いいじゃないですか、難しいこと考えなくても。山本さんのことが好きなんですよ。それだけ」
「…俺なんかのどこがいいんだろう。わかんない」
「そうだな、俺に流されちゃって止まらないところとか?」
「そんなの長所じゃない」
「別に長所を好きになるわけじゃないでしょ。とにかく、この人俺に絶対流されてくれるって一目見てわかったんで」
つまり流されやすい奴が好きなんだろうか。それでどうして俺なんだろうか。
 ぼんやりしながらゴールドブレンドをいれていたら、ポットのお湯で少し火傷した。かっこ悪い。俺っていろいろとかっこ悪いよな、考えてみると。田中の前に出ると、かっこ悪さがさらに際立つ気がしてならない。いいことない。
「あー、流されやすい人だから山本さんってわけじゃないですよ」
「なんなのもう、俺よくわかんない」
「そんなに説明必要? 一目惚れに理屈いらないと思うけどな」
そう言われると、いよいよ理由を聞きたくなる。何か理由がほしい。俺でなければならない理由が。俺でなければならない理由? あるのかそんなの。
「あのー…」
「はい」
「田中さんの目、みんな舐めてる?」
「はあ? なんですか急に」
そうだよな、急にこんなこと聞くの変だよな。やっぱりやめた。
「いえ、なんでもないです…」
まだ熱いコーヒーをすすったら。舌を火傷した。あちぃ。
「…山本さんだけですよ」
「え? ホント?」
「ホントです。そんな変なこと言い出すの、あなたくらいしかいないし」
「変で悪かったな」
「悪くないし。そういうこと言い出しそうな人だから好きになったんだし」
変なの。こいつ俺の目舐めたがりそうとか、わかるのかよ。それこそちょっとあり得ない。
「普通、目なんか舐めさせないでしょ。山本さん、誰かから目ぇ舐めさせろって言われて舐めさせますか?」
「嫌だ痛そう」
「でしょ? だから誰も俺の目なんか舐めたことありません」
「じゃあ、俺だけ?」
「ですね」
ふうん。あの味、俺しか知らないんだ。物凄く甘いのに。あり得ないほど甘美なのに。田中と今までに付き合った人、ごめんね。俺、今、物凄い優越感。
「舐めます?」
「え、いいの?」
「別に減りませんから。人間じゃないからいくら舐められても平気。ていうか、もうこの目、山本さんのだから」
「いや、目は俺のものじゃないです」
「そんなもんだと思ってくれればいいから。どうぞ」
うわ、なんだ。口元が緩む。何だか嬉しい、俺。何この気持ち。どうしよう、ニヤニヤが止まらない。内心ちょっと困っていたら、余裕で田中に抱きしめられた。まだ朝なのに、いいんですかこんなことして。こいつに抱きしめられるのにもすっかり慣れた。慣れたというか、いややっぱり慣れない。胸がドキドキするんです、どうすればいいですか。苦しいです、凄く。
「…この表現使っていいのかどうかわかんないけど、山本さん超絶かわいいですね」
やめろ、男にかわいいとか言うな。言われても全然嬉しくない。
「その表現、禁止」
「禁止ですか、じゃあなんて表現しようかなあ」
「かわいいって女の子に言う言葉だから。俺、男だから」
「でも、かっこ良くはない」
どうせ俺はかっこ悪い。そんなの自分が一番よく知ってる。かっこ良かったら、人生もう少し違ってると思う。でも俺が凄いかっこいい男だったら、もしかして田中に出会ってなかったかもしれない。
「他にどうやって表現したらいいか、俺わかりません。とりあえず抱きしめることしかできません」
じゃあ抱きしめててください。としか俺も言えません。いいのかな、これで。俺、かなりヤバい状態じゃないのかな。田中と一緒にいたいがために有休取っちゃうとか、何の疑問もなく抱き合っちゃうとか。俺ってもしかして重症ですか。
「そうですね、重症ですね」
「…だから心読むなっつってんのに」
「無理です。溢れ出てくるものは隠せませんよ?」
「そんなに溢れ出てますか」
「物凄い洪水です。俺、溺れそう」
「何に」
「山本さんのめくるめく愛に溺れそう」
愛とか言うな。背中がむず痒くなる。それに愛なんて言うと、急に形が決まってしまうような気がする。
「愛じゃありません、多分」
「あ、言葉の選び方、間違いましたかね」
そんな言葉、つまらない。俺とこいつの間にあるものを表現するにしては、全然適切じゃない。言葉にしない方が、きっといいと思う。
 俺は田中の目を舐めてみた。やっぱり物凄く甘くて、舌から順番に全身が痺れた。誰も舐めたことがないのなら、もう他の誰にも舐めさせない。こいつの目の甘さを知っているのは俺だけでいい。田中、もうナンパされるなよ。されてもいいけど、誰にも渡さないことに決めた。こいつは俺のもの。
「うわー、凄いな、山本さん」
田中が甲高い変な声を出した。
「え、俺がどうかした?」
「マジで俺、溺れそう。助けてこの山本さん洪水。気持ちよくてイっちゃいそう」
「そんなこと言われても」
「山本さんをこの部屋に閉じ込めて、どこにも出したくない気分。鎖つけて檻に閉じ込めたい。ロープで縛りたい。赤いロウソクたらしたい。もうめちゃくちゃのドロドロにしたい」
「うわ、爛れてる」
「山本さんが悪いんです。大事なことなので何度でも言います。この据え膳野郎」
ひどい言われようだ。だけど、何言われても気分は悪くない。もういい、今日は一日田中と爛れた生活送る。そのために有休も取ったんだから。でもその前に、シャワー浴びさせてください。昨日会社から帰ってきてまだシャワー浴びてないんで。
 しかし、俺自身に抵抗やめた俺って、なんかつまらなくないか? やっぱり抵抗するか?…いややめた。今日は爛れた俺でいい。

 

 


 仕事している時間は結構長いのに爛れた時間は一瞬で過ぎるということを、俺は三十路を前にして初めて知った。そして本気出して爛れると、人間どこまでも爛れることができることも知った。そして爛れた生活には悪魔的魅力があることも、知ってしまった。これ多分、全部相手が田中だからだと思う。普通の女の子相手に、絶対こうはならない。普通レベルだったらせいぜいだらしなくなる程度だけど、田中相手だとヤバいくらいマジで爛れてしまう。もうトロトロのドロドロだ。もはや誰も助けてくれないところまで来た。自分の実家がどこにあるかわからない程度だ。ホント帰り道わかりません。俺もう両親の顔見られません。盆暮れ正月とかもう帰りたくありません。無理。絶対無理。どうしよう。頭が切り替わらない。どうやって昔の俺に戻ればいいの?
 「山本さん、こぼしてるけど」
隣から何か聞こえる。何ですか。
「デスクの上にサンドイッチの汁がこぼれてるんだけど。もうすぐパソコンのキーボードに当たりそうなんだけど」
えっ、それは嫌だ。俺は慌てて自分のデスクの上を見ると、食べかけのサンドイッチからトマトの汁が滴り落ちていた。これヤバい。ティッシュで拭いた。
「…火曜日に休んでからなんか変じゃない? まだ具合悪いの?」
なんだ、俺がLINE入れてないってバカにする女か。心配するな、俺は絶対LINEやらない。
「具合は悪くないけど。今日金曜日だし。また週末よく休むから」
「だね。それにしても、ぼーっとしてるよね、休憩時間なんか」
「そうかな。うーん、なんだか食欲なくてさ」
「そりゃあ毎日コンビニランチじゃねぇ。彼女に美味しいものでも作ってもらったら?」
「作ってもらってるから、ご心配なく」
「えっ、山本さん、彼女いたの?」
正確には、彼氏だ。しかも人間じゃない。人間じゃないくせに、普通の会社に普通の顔して勤めてる。ていうか、何でそんなに驚くんだよ。そんなに彼女(彼氏)がいるのが意外かよ。
「まあそこらへんはぼやかしといて」
「あーわかった。聞かなかったことにしとく」
そんなこと言って、来週には同僚全員に噂が回ってるに違いない。もういい、俺は諦めてる。
「悪いけど、今日も定時で帰るから、俺」
「いいんじゃない? 今あんまり忙しくないから、みんな早く帰ってるよ」
 残業なんかしてられるか。こんな状態で会社になんかいられるか。いや、残業あんまりないからナチュラルに帰るけど。俺は早く帰って田中に会いたい。とりあえず会いたいって思う時点で脇道に滑り落ちてる。まだ昼休み中かな。スマホを取り出して、頑固にもメールで話しかける。
『俺、今日定時で上がります。そっちは?』
すぐに返事がある。いいことだ。
『少しだけ残業あるかも。でも大したことないと思う。なるべく早く帰ります』
ああ、これはもう結婚してる。余裕で結婚してる。どっちの苗字かわからないが、俺とあいつは同姓同名だ。
『今夜、また泊まってっていい?』
こんなこと聞くかよ。メールに残すかよ、俺。
『当然ながら、金曜の夜から月曜の朝まで帰さない予定』
『マジレスすると爛れ切った生活に戸惑いを禁じ得ない』
『こういう時は我に返っちゃダメ』
そうか。そうだよな。我に返るのだけはやめておいた方がいい。
『じゃあ予定通り爛れた週末にする』
『心配しなくても俺の腕の中で俺以外何も見えなくさせてあげますから』
…あ、ダメだ。まだ昼間だっていうのに。午後の仕事が残ってるのに。田中との爛れに爛れ切った生活が頭の中をよぎっていく。記憶だけの快感で気が遠くなりそうだ。…そういえば、田中に言われてた。時々俺は無駄に色っぽいフェロモン出してるらしい。そんな時は何でもいいからトイレにでも駆け込んで落ち着くまでこもってろって言われた。今の俺、そうするべきですか。そうするべきですね。はい、トイレ行ってきます。用はないけど。
 午後の仕事は長かった。たったの4時間程度なのに。たったの4時間。あっという間だろ。それがこんなに長く感じるなんて、俺はいい加減仕事を干されるんじゃないかと危機感が襲ってくる。大丈夫だよな、この4時間ちゃんと働いてたよな。5時を過ぎたのでパソコンの電源を落としてデスクの上片付けて、俺はさっさとタイムカードを押した。誰も俺に話しかけるな、特にハゲ。このまま帰宅させてください。
 いつもの最寄り駅まで無事に帰ってきたら、コンビニの前で田中に会った。手にはスーパーとコンビニ両方の袋を下げている。俺はポカリの2リットルがほしい。自分の家の冷蔵庫に入れる用。
「あ、おかえんなさい。俺ダッシュで仕事終わらせちゃいましたよ」
「残業じゃなかったの? 凄い早い」
「ブッチしてきました。月曜日でいいです、もう」
「田中さん、堕落してませんか」
「大丈夫。俺、仕事できるイケメンだから」
軽くむかつく。俺は仕事ができる方かどうか、自分ではよくわからない。最近の俺はかなりできない方だと思う。コンビニに入ろうとすると、田中に止められた。
「ポカリなら買いましたけど」
「いや、俺んち用にほしいんです」
「もうほとんど田中家の住人なのに、今さら?」
「一応買わせて。常備させて。俺の冷蔵庫も使わせて」
可哀想な俺の部屋は、最近あまり電気も付けていないし冷蔵庫も使ってやっていない。俺は田中と半同棲生活に突入している。仕事が終われば一緒に田中の作った晩飯を食べるし、朝は田中オムレツを食べてから一回自分の部屋に帰って着替えて出勤して、あとは適当に自分の部屋で洗濯したりアイロンかけたりしている。考えてみたら、田中と半同棲生活していると、俺の電気料金や水道代が少なく済んでありがたい。もう一緒に暮らすべきですか。
「なんか部屋が二つあるのがもったいないみたいですよねえ」
飲み物売り場で2リットルポカリを取り出した俺に、田中が能天気な声をかけた。
「…そこ微妙なところだから、そっとしといて」
「もう一緒に暮らしちゃえばいいのに」
「いいの。今のままでいたい」
「非合理的じゃないですか」
「何となく最後の一線守らせて」
レジで金を払いながら、俺は凄く意味のないことを言ってるなと自分で呆れた。ここまで一緒にいるんだったら、こいつの部屋と俺の部屋の間の壁ぶち抜いて広い102&103号室にしてもいいと思う。で、もうちょっと広いベッドを調達する。今のベッド、シングルだから狭い。え、ダブルベッドですか。ダブルベッドで何するんですか。いっそ毎晩エンドレスですか。この発想、終わってる。いや、俺は今さら自覚するまでもなく終わってる。
「山本さん、なんで肩落として歩いてるの」
「なんでもありません、そっとしといて」
「相変わらず往生際の悪い人ですねえ」
「もはやそれ俺のチャームポイント」
 アパートに到着して、とりあえず俺は自分の部屋に向かう。
「ちょっと着替えてきます。あ、掃除機かけてくるわ」
絶対掃除機をかけるべきだ。いつから俺は掃除していないんだ。
「なんですかそれ、新手の焦らしプレイですか」
「たまには掃除した方がよくね?」
「まあ、たまにはね。じゃあ俺も掃除機でもかけよ。終わったら来てください」
「はい、また後で」
やあ、久しぶり、俺の部屋。毎日帰ってはいるけれど、何とも言えないご無沙汰感は否めない。風呂とか壊れてるんじゃあるまいな。とにかく掃除をしよう。適当に。俺はスーツから普段着に着替えて、掃除機を取り出した。こんなに使わない掃除機だから、高いものなんか買わなくて良かった。うっかりダイソンなんか買ってたら、元を取るために毎日掃除機かけなきゃならない。
「…なんか汚れてるなあ。埃立ってる」
ぶつぶつ文句を垂れながら、俺は掃除機をかけた。テーブルとか埃がたまってる。拭かなきゃ。読み終わった雑誌とか鬱陶しい。縛って捨てなきゃ。最近、雑誌なんか興味なくなった。大好きなマンガ連載している月刊少年マガジンだけ買えばいいと思う。月マガは分厚くて捨てるのがまためんどくさいけど。
「あ、洗濯しないと」
一昨日からためておいた下着やらワイシャツやらを洗濯機でぐるぐる回す。ワイシャツはアイロンをかけなければいけないので、これまた面倒だ。アイロンをかけるべきワイシャツが2枚あった。ハンカチもあった。洗濯してる間にアイロンでもかけるか。俺のワイシャツ形状記憶だからホントはアイロンかけなくてもいいんだけど、俺は何故かアイロンをかけずにはいられない。決してアイロンが好きなわけではない。ただのくせだ。アイロンのコンセントを入れていたら、電話が鳴った。田中だ。
『あ、まだ掃除中でしたか?』
「今は洗濯とアイロンだけど」
『ずいぶん本格的に取り組んでますね。今日うち来ないの?』
行っちゃうに決まってんだろバカ野郎。と、俺はすぐに思う。いつの間にこんな男になったの俺。
「行くけど。洗濯物干して、アイロンかけ終わったら行く」
『たまには外に飲みに行きますか。駅前の鳥八とか』
「行ったことない。知ってるけど」
『焼き鳥、美味いです。俺が美味いって言ってるんだから、信じられるでしょ』
「焼き鳥かあ…しばらく食ってないなあ」
「ていうか、アイロン俺が手伝いましょうか」
「うわあ」
なんでお前、俺の部屋にいるんですか。いきなり入って来ないでください。お願いだから。びっくりするから。
「電話代もったいないですよね、どうせ隣なんだし、直接喋った方が早いし」
「ま、まあね…」
「アイロンかけるのどれ?」
俺はワイシャツ2枚とハンカチ何枚かを指差した。
「えっ、ワイシャツにわざわざアイロンかけてんの? 形状記憶シャツじゃないの?」
「形状記憶だけどかけてる」
「山本さん、これほっといても大丈夫だけど。何その強迫観念」
強迫観念なのかこれって。子どもの頃からお袋が親父のワイシャツにアイロンかけてたから、そうしなきゃダメなんだと思ってた。
「試しにこのまま着て出勤してみて。そのうちアイロンから解放されるから」
「そうかなあ」
「そうです。あ、ハンカチはかけてあげますから」
「ありがとうございます…」
「洗濯は? 終わってんじゃないの?」
そういえば洗濯機がピーピー言った。
「すいません、干してきます…」
「そしたら仕事も早く終わって、早く飲みに行けますからね」
田中は無駄にかいがいしいと思う。こいついつでも主婦になれる。料理が上手なだけじゃなく、家事も育児も何もかもできそうだ。しかも仕事までできるイケメン。どうして女が寄って来ない?…そういやナンパされてたか。なんかむかつく。
 駅前の鳥八という焼き鳥屋には、初めて入った。そもそも一人でこんな店に入ったことがない。好き嫌いのない俺は、焼き鳥ももちろん好きだった。塩味の焼き鳥が好きだ。タレは甘いので、塩味だ。
「…外で飲むとか、何だか健康的だな、俺ら」
「たまにはドロドロに爛れてないのもいいでしょ」
「田中さん、声が大きいです。俺、恥ずかしい」
適当に注文した焼き鳥の大軍が嬉しく俺を襲ってくれる。本当だ、ここの焼き鳥いける。ビールが進む。田中と一緒にいると、俺はいつでもビールが進んでしょうがない。もしかして、飲まなきゃやってらんないのか。飲まなきゃやってらんないほど好きなのか。そんな自分から目をそらしたくて飲んでるのか。田中がビールぐびぐび飲んで、思わぬ言葉を吐いた。
「実は来週の土曜日、プチ社員旅行があるんですよ」
「え、何それ嫌だ」
「一瞬で嫌がりましたね」
悪かったな。今や俺はお前の虜。週末に田中がいないとかあり得ないだろ。
「土曜日だけ? 日帰り?」
「希望者は一泊ですが」
「一泊とか嫌だ。行かなきゃダメなの?」
「意外と義理堅い俺は休んだことがないんです」
来週の土曜日って、一週間後じゃないか。今週は金曜の夜から月曜の朝まで爛れられるとしても、来週の予定は著しく狂ってしまう。予定って言うほどのものじゃないけど。
「じゃあ、行くの?」
「どうしよっか」
「休めるの?」
「まあ休んでもいいんですが、俺が休むの凄く珍しい現象なんで、何があったか怪しまれるかも」
怪しまれるって何をだ。いいじゃないか、社員旅行なんて今どき行かなくても。そんな親睦しなくても人気者だろイケメン。はっきり言います。行かないで。
「…休んじゃえ。休んで俺とどっか行こ?」
「嬉しいこと言うなあ、山本さんたら、愛してる」
「だから声大きいです。俺は恥ずかしい」
「何を言ってるんですか今さら。俺と付き合ってるって町中の人が知ってますよ?」
「えっ、何で!」
「冗談です」
なんだ嘘か。心臓持たないから、その手の嘘やめてくれますか。
「山本さんから引き止められたから、行くのやめようっと。ちょっと待っててくださいね」
田中はポケットからスマホを取り出して、何か打っている。欠席通知か。もしかしてそれLINE?
「とりあえず幹事だけには伝えとかないと。週明けたら上司に言います」
「どんな言い訳使うの」
「実家の用事。法事ってのはあまりにも見え透いてるし。急な家族会議にでもしとこうかと」
「家族会議ねえ。そんなのあり得る?」
田中はテーブルにスマホを置いた。ちなみにこいつも俺も黒のiPhone5だ。とっても仲がよろしいのね。電車に乗ってても道を歩いていてもiPhone5の奴なんて腐るほどいるけど。
「そうですね、俺、妹がいるんで、脳内結婚相談とか受けたことにします」
「妹がいたのか。知らなかった。イケメンの妹なら可愛いんだろうな」
「あー確かにモテますね、あれは。でも俺と違って結構真面目だから結婚遅そう」
兄の方だって結婚してないじゃないか。妹のこと言えない。待てよ、狼男の妹なら、狼女なのか。ちょっと聞きたいけど、それは後にする。
「で、プチ社員旅行は休めるんですか」
「はい、オッケーです。来週の週末もその次もまたその次も俺はあなたのもの」
はっきり言うが、俺は喜んでいる。手鏡出すなよ、俺は今、自分の顔を見たくない。口元がむずむずする。多分緩んでいる。
「そうですか、来週も田中さんは俺のものですか」
「嬉しいでしょ?」
「…別に」
「わあ何ですかそのツンデレ準備中。言ってることと顔が全然違いますよ」
そんなことわかってる。言われなくてもわかってる。だけど何となく抵抗したい。
「大事なことだからもう一度聞きますけど、嬉しいんでしょ?」
ここで「うん」と言ったら負けな気がする。今になって勝負してもどうにもならないけど。
「嬉しいって言わなきゃ、社員旅行行っちゃいますよ、しかも一泊で」
「やめてそれ嫌だ」
「じゃあ素直に認めてくださいよ。山本さんが引き止めたくせに」
「…嬉しいです。俺とどっか行きません?」
目の前に焼き鳥が一本突き付けられた。俺は思わず口を開いてかじってしまった。何この図、俺たちイチャつき過ぎだろ。周囲の視線が痛い。けど、俺は麻痺してわからない。
「ドライブにでも行きましょうか。レンタカー借りますよ」
「田中さんが運転してくれるの?」
「俺、運転上手いですよ。山本さんが運転してもいいけど」
残念ながら、俺はあまり車を動かすのは好きじゃない。便宜上免許は取ったが、助手席専門の方が楽だ。
「運転はおまかせします」
「なら助手席で楽しんでください。信号で止まったらキスしますからね」
「だから声が大きいです。俺もう帰りたい」
 ここで帰るのももったいないので、焼き鳥を腹一杯食ってからアパートに帰った。もちろん田中の部屋に直帰だった。ああ、今週末も爛れた足掛け三日を送るんだな。鳥八でも微妙に爛れた空気を醸し出していたかもしれない。もうあの店、行かない方がいいのかな。美味しかったんだけど。行ったらホモだとか言われたりして。大事なことだから言っておくけど、俺はホモじゃない。女が好き。だけど田中も好き。こんな自分はちょっと嫌い。

 


(続く)

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