ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

【BL】(6)月のかたちと二人のかたち

f:id:hammerklavier:20190603090226j:image

 

(男同士だって好きなんだもの)

(pixivより転載。昔書いたBL小説。全7話)

 

-----

 

 狼男が本当に狼に変身できるのだということを知ってから、俺はすっかりダメ人間になった。仕事が手に付かない。やる気もない。食欲もない。人付き合いも悪い。これはもともと良くないけど。仕事があまりにも進まなくて、仕方なく残業になる日もあった。残業になると、とても不安になった。田中に会える時間が減るじゃないか。会うと言っても、最近の俺は少し無口だ。
 食欲がないので、ミニサイズのカップラーメンをデスクで食べていたら、同僚が入ってきた。またこいつか。俺がLINEやってないってバカにする女。
「えっ、山本さんランチそれだけ? ヤバくない?」
「別にヤバくない」
「どっか悪いんじゃないの、食欲なさそうだけど」
「いいんだよ、恋煩いだから食欲なんかなくても」
フンと鼻で笑われた。何がおかしい。俺だって人並みに恋煩いくらいしてもいいだろうが。恋煩いだと自覚済みの俺はどうかしている。
「山本さんの彼女ってどんな人?」
「料理上手のイケメン」
「えっ、イケメン? 何それ男?」
「うわあ、何でもない」
しまった、うっかり口を滑らせた。今のなし。今のなしでお願いします。
「…男だったんだ…そうか、彼女じゃなくて彼氏だったんだ?」
「いえ、彼女です。料理上手の美人」
「そっかあ、これは意外な盲点だったわ。私いいこと聞いちゃった」
もしかして、明日の朝には俺は吊るし上げられるんですか。男のくせに男と付き合ってるって噂が盛り上がるんですか。勘弁してください、だから今のなしって言ってるのに。
「あ、心配しないで。私、誰にも言わないから」
「信用できるか」
「えー信用してよ。ホントホント誰にも言わない。プライバシー厳守。で、どんなイケメンなの?」
どんなイケメンって、どうやって説明すればいいのか。特に似てる芸能人も思い付かない。
「すみません、彼氏じゃないですから。彼女だから。もうほっといて」
「あ、信用してないわね。恋煩いなんでしょ? 相談に乗るけど」
「お前別に新宿の母でも何でもないだろうが」
「…今どき、新宿の母とか…ホント山本さんて反応不思議だよね」
かましい。どうせ昭和くさい男だよ。こんな信用おけない奴に何も言えない。俺の個人情報会社中に筒抜けになりそうで怖い。でも、何となく誰かに聞いてほしいのも確かだった。
 しかし、何を話すんだ。狼男と付き合ってていろいろ不安で困ってますって話すのか。こんなの絶対わかってもらえない。人間じゃない動物と付き合ってるとか、あり得ないだろ。でも何か言いたい。
「…もしも好きになった奴が吸血鬼だったら、お前どうする?」
「何それ、山本さんの彼氏って吸血鬼なの? 血とか吸われてるの?」
「違う、吸血鬼じゃない。例えばの話。もし好きになったら吸血鬼でしたってオチだったらお前どうする?」
「私だったら別に気にしない。好きな人なら血でも何でも提供するけど」
相談した俺がバカでした。こいつに俺のとても繊細な恋心なんかわからないんだな。申し訳ありませんでした。
「そっか、ありがとう。これ、相談代。釣りはいらねえ、取っときな」
俺はデスクの上に三つほど置いてあったのど飴をLINE女に渡した。
「ちょっと山本さん、何スルーしてんのよ。まあ飴はもらうけどね」
「吸血鬼の例えなんか出した俺が悪かった。今の話は忘れてください、もう何もかも」
「つまり何か障害のある恋愛してるわけ? ちょっと例えがあれだけど、身分が違うとか」
「まあそんなもんかな」
LINE女は持っていたドトールのアイスコーヒーをすすった。何だか悩みのなさそうな女だな、いつ見ても。俺のカップラーメンはすっかり伸びてしまった。まずそうになったラーメンを俺は無理して食べた。
「でもさ、結局は好きなんでしょ? その彼氏のことが」
「彼女です」
「いやもうバレバレだから。料理上手のイケメン彼氏でいいって。その人のこと好きなんでしょ?」
面と向かって聞かれると言葉に詰まる。ここで思いっきり「俺はあの男のことが好きだ」と大公開するのも気が引ける。こいつに小公開してるから同じようなものだけど。
「もし好きならどうなるんだよ。障害があることは変わらないだろ」
「障害あるから鬱になって逃げてるの?」
「え、別に逃げてないし鬱じゃない」
「そうかな、最近かなり食欲なさそうだし、仕事遅いし、山本さんいいとこないじゃないの」
言いたいこと言ってくれるな。仕事遅いとか言うな。悪かったな。どうせ俺は仕事もできない男だよ。
「さっき恋煩いとか言ってたけど、なんか変。もうちょっと素直に好きだって思えば?」
「見てきたようなこと言うんだな、さらっと」
「私、わりとカンがいいから。いいじゃん、相手が吸血鬼でも男でも。もっと自分を解放してあげた方がいいよ、多分」
何だこいつ。普段は俺のことバカにしていじってばかりのくせに、たまにはいいこと言うじゃないか。結構適切なアドバイスだ。ん? なんで適切だってわかるんだ、俺は。
「…そうかな」
「そうだよ。障害あってもいいじゃない。頭でぐるぐる考えててもしょうがないし」
頭でぐるぐる考えるのは、俺のくせだ。悪いくせはなかなか直らない。直したいとは思うけれど、同じパターンにはまりこむと、いつまでたっても抜けられない。
「その人のこと、好き?」
「え、ここでそんなこと言うのかよ」
「ほらーそういうところが。好きなら好きって何でうなずけないの?」
「…何となく恥ずかしいから」
「それ無駄な恥入りだから。捨てちゃえ捨てちゃえ。誰も山本さんのことなんか気にしてないって」
誰もって、ひどいな。でも、多分俺のことなんか誰も気にしていない。みんな自分のことをどうにかするので精一杯だ。ある意味、俺を気にしてくれているのは、田中だけだ。
「じゃあ、好きかも」
「かも、じゃないでしょ」
「好きです」
「やだ、私に告られても困るわあ」
「お前じゃない。俺は田中が好きだって言ってるんだ」
「ほら、それそれ。そうやって素直に認めればいいんだってば。彼氏、田中さんって言うんだ?」
「わあ、今のなし、聞かなかったことにしてください」
「後で飲み物何か買ってきて。ペットボトル一本分のパシリで許すから」
ドトールのコーヒーをすすり終わって、LINE女は俺にパシリを命じた。悔しいけど、飲み物一本買って捧げるしかない。それに、こいつ結構いいこと言った。いろいろと。障害あっても好きならそれでいいのか。そんな単純なことなのか。同じ生き物じゃなくてもいいのか。
「今度、飯でも食いに行く?」
申し訳なくなって、俺は心にもないことを言ってみた。マジで心にもないことだ。
「いらなーい。それより田中さんとご飯食べた方がいいよ。田中さんにすっごい美味しいもの作ってもらいなよ。多分、お料理の中にいろいろ入ってるよ。入ってるものに気付いたらきっと泣けてくるかもね。田中さんの作ったもの食べて泣いたら大正解だよ」
「え、そうなの?」
「私のカンだけどね。じゃあもう1時になるから行くわ。そうだな、後でポカリ買ってきてね」
ポカリなのかよ。まあいいや。LINE女は相変わらず何の悩みもなさそうな顔で、別の部署へと帰って行った。
 俺はスマホを取り出して、田中にメールを送ることにする。今夜行くからご飯食べさせてって。俺、LINE入れようかな。田中にとって、その方が便利なら。
『今夜、ご飯食べに行ってもいい?』
すぐに返事ください、頼むから。今日は光速で返事がほしい。
『何が食べたいですか?』
あ、来た来た。良かった、行ってもいいらしい。
『何でもいいんだけど、俺が泣きそうになるもの』
何だこの注文は。俺、注文の多い料理店過ぎる。泣きそうになるものって何だ。自分でも思い付かない。どうしよう、訂正しようか。訂正したくても、どうやって書けばいいのかわからない。
『了解。泣けるほど美味しいもの作りますから、残業は早めに切り上げてくださいね』
『がんばって定時で帰ります』
上司が帰ってきた。やばい、スマホしまわなきゃ。でも、田中の返事が見たい。いや、田中の声が聞きたい。俺は慌てて上司を振り切って、トイレに駆け込んだ。もう1時過ぎてるけど、生理現象だから許して。トイレに用があるわけじゃないけど。初めてやらかすことだが、俺は仕事中に田中に電話をかけた。
『はい、田中です』
田中の声だ。仕事中のわりにはのんびりしている。
「あ、山本です。すいません、電話なんかしてすいません」
『別にそんなに謝らなくてもいいけど、どうしたんですか急に』
「…こ、声が聞きたくて」
『ええ! マジですかそれは。超嬉しい』
大声出すな。仕事中だろ。周りが見るだろ。どんな社内か知らないけど。
「…マジです。今日、ホントに行って大丈夫?」
『今さら聞くこと? 毎日のようにうちで飯食ってるのに』
「なんか聞いてみたくなったんです。メールじゃなくて」
『嬉しいなあ、嬉しくてトイレに駆け込んじゃいましたよ』
「偶然だな。俺もトイレにいる」
『うちに来るのは今日ももちろんオッケーです。あ、そしたら駅で待ち合わせましょう』
駅で待ち合わせか。そんなことはしたことがない。珍しい。
「どうしていきなり待ち合わせ?」
『まあいいじゃないですか、たまには。帰りに買い物するの付き合ってください』
「わかりました。なるべく早く駅に帰りつくようにしますから」
『楽しみにしてますね。じゃあ、また夕方に』
「はい、ではでは」
わざわざ電話するほどでもない内容だったが、ここで時間切れだ。俺は電話を切ったあとに、言い忘れたと思ってもう一度メールした。柄じゃないけど、「すみません、凄く好きです」と勢いで打って送った。田中からの返事はなかった。どうして返事くれないんだ。今物凄く大事なところなのに。

 


 最寄り駅の自動改札を出て見渡したが、田中はまだ帰っていないようだった。空模様が少し怪しい。雨が降らなければいいけど。俺は傘を持っていない。スマホを出してメールチェックをしたが、やっぱり田中から返事はない。一言くらい返事くれてもいいのに。自分が最後に送ったメールが恥ずかしくて、顔から火が噴き出そうだ。あれ、なかったことにしたい。LINE女から余計なこと言われて、俺は血迷った。
 早くも暗くなりかけている空をぼんやり眺めていたら、肩を叩かれた。振り向いたら当然ながら田中だった。
「遅くなってすみませんでした。ちょっとあの後立て込んじゃって」
じゃあ、俺の血迷ったメールは見てないのか。いや、こいつが仕事終わってメールチェックしないわけがない。電車に乗っている間にでも返事くれればいいのに、どうしてくれないんですか。
「メール、見ましたよ。ありがとうございました」
「あ、ああ、どうも…見てたんだ?」
「さっき返事しようかと思ったんですけど、それより早く帰って山本さんの顔見たくて」
そんなこと言われても照れる。ゆとりあったなら返事くれよ。
「…返事くれた方が良かった」
「え、じゃあ今から返事送りましょうか? いくらでも書きますよ」
田中が俺の目の前でスマホを物凄い速さで打ち出した。本当に速いな、こいつ。顔合わせたままでメールとか、それはそれでまた照れる。「はい、送りました」と言われたら、見るしかないじゃないか。俺のスマホが胸ポケットでぶーぶー言ってる。
『山本さんのこと物凄く好きです。あなたのこと考えると気絶しそう。今すぐ抱きたい。仕事も手に付かない。上司に叱られました。さっきのメールで昇天。完全保存版。もう死んでも離さない』
物凄い勢いで、顔から火が噴き出した。自動改札のそばは人が多くて、俺はとても落ち着かなかった。かと言って、駅前で人のいないところなどない。穴があったら入りたい。
「何だよ、この日本語不自由なメールは」
実はそんなことは思っていないけど、照れ隠しに言ってみた。
「え、山本さんの日本語いつもこんな感じですよ。じゃあもう一回書き直しますか?」
「いや、いい。このままでいい」
俺は日本語不自由なメールを田中フォルダに入れた。実は田中メールフォルダなんか作っていたのだ。それだけでは不安なので、後でホットメールに転送して何度でも読んでやる。ああ、恥ずかしい。
「ホントは嬉しいんでしょ? 今のメール」
「うるさい」
「山本さんの無口で雄弁なメール、凄く嬉しかったですよ。おかげで仕事はミスするし大変でした、この罪作り」
「俺は別に悪くないぞ」
「今日ばかりは悪いですね。電話はくれるし、ラブメールはくれるし、この人俺の恋人ですって今大声で叫びたい。叫ぼうか」
「ちょっとそれやめろ。もう帰る」
「あー待て待て、スーパーで買い物がありますんで付き合ってください」
そうだった。買い物があるって言ってたな。
 いつもの駅前スーパーに入ると、晩飯のためらしき買い物客で混雑していた。そんな中で男性サラリーマン二人連れなんてどこにもいない。仕方ないか、俺が飯食わせろって言ってるんだから。田中が「カゴ持ってください」と言うので、渋々カゴを取ってきた。
「泣けるほど美味いもの食べたいんですよね?」
「どんなものが泣ける食べ物かはわからないけどね」
「食欲あんまりないでしょ。最近あまり食べませんもんね。どうしようかな」
そうなのだ。俺は食欲がない。食べることは食べるが、食べてもあまり楽しくない。田中の作るものは何でも美味しいけれど、このところの俺はがっついていない。
「今日は魚にしようか。鯖の味噌煮とか好きですか?」
鯖の味噌煮か。渋いな。お袋が作っていたが、特別に好きでも嫌いでもない。でもきっと、田中が作れば美味しいだろう。
「飛び上がるほど好きってわけじゃないけど、嫌いでもないから、それ食べる」
「よし、じゃあ今日は鯖の味噌煮。大丈夫、絶対美味いから」
田中はお魚売り場でぶつぶつ言いながら鯖を選んでいる。俺から見たらどれも同じ魚の切り身に見える。俺も少しは料理くらいできた方がいいのだろうか。田中に習うか。面倒だな。やっぱりいいや。
「鯖の味噌煮と、卵焼きと、和風サラダ。あと味噌汁…あ、鯖の味噌煮に味噌汁ってしつこいか」
「いや、いいです、味噌汁のままでいい。豆腐とわかめ入れてください」
何となく、田中の味噌汁が飲みたい。前に飲んだ時、美味しかった。
「あ、そう。じゃあそうしましょう。豆腐とわかめも買わなきゃ。卵もないし」
「結構いろいろ切れてた?」
「ちょうど食材の切れ目ですね。他にも買うから荷物持ちお願いしますよ」
結局、魚だけでなく肉も少し買ったし、俺の好きなキュウリのQちゃんも買ったし、野菜もあれこれ買ったし、ゴールドブレンドとおいしい牛乳も買った。結構な値段になったので、割り勘にした。最近俺は、田中に食費を払っている。田中はいらないと言ったけれど、どうせ半分は俺が食べているから払うべきなのだ。
 スーパーから出てみると、不覚にも雨が降り出していた。降らなければいいのにと思っていたが、残念ながら降り出した。傘持ってないのにどうしよう。
「俺、傘持ってますよ。大丈夫」
田中は準備が良かった。折り畳み傘を持っていた。それほど大きな傘ではないから、二人で入ると肩がかなり濡れそうだ。雨はそれなりに強かった。
「ホントの本降りになる前に早く帰りましょう。コンビニは寄らなくていいでしょ?」
「ポカリ買いたかったけど、この雨だからいいや」
「ポカリならまだあるから…あ」
「え、何?」
すれ違いでスーパーに入って来た女性が、突然こちらに振り向いた。うわ、美人だ。田中の知り合い? 田中が美人と挨拶してる。あ、この美人、もしかして。
「すみません、帰りましょう」
「今の人、もしかして前にナンパされた人?」
「覚えてましたか。たまにスーパーとかコンビニで会うんですよ。ほら早くしないと雨ひどくなるから」
田中が傘をさしたので、俺は慌ててその中に入った。「傘、俺が持とうか」と言ってみたら、「俺の方が背が高い」と笑われた。言わなきゃ良かった。男二人で相合傘かよ。でも、あまり空しくはない。空しくはないが、今の美人が気になる。ナンパされたんだよな、でもそれっきりだよな。だけど挨拶とかしちゃうのか。
「ナンパされたのに、特に何もリアクションしないですれ違ってるんだな」
「は? 何ですか急に」
「田中さんあの美人にナンパされたんだよね? 付き合わなくていいの?」
「はあー? 意味わかんない。どうしてあの人と付き合わなきゃいけないんですか」
「いや、ナンパされたから」
「恋人いるからナンパされても関係ないです、俺は」
「恋人って誰?」
「今俺と相合傘してる人以外に誰がいますかね。いたら教えて」
そうだよな、いないよな。こいつの恋人って俺だよな。そういえば、付き合い始めてもう一ヶ月以上経った。中秋の明月の夜に声をかけられたのが、遥か昔のことのような。てことは、俺の恋人って田中なのか。やっぱり田中は俺の彼氏なのか。でも田中って狼男だぞ。同じ人間じゃないんだぞ。俺はいつもそのことで頭が一杯だった。助けてくれよ、LINE女。こういうぐるぐる思考の時はどうすればいいんだ。マジで何かご馳走するから、心が軽くなる秘訣教えてくれよ。
 スーパーからアパートまではそれほどの距離はないのだが、どんどん強くなる雨脚に俺は憂鬱になってきた。スーツが濡れる。拭くのが面倒。俺は雨があまり好きじゃない。田中の部屋に辿り着いたら、田中がタオルを持ってきてくれた。申し訳ない。うわ、肩が結構濡れてる。買ってきたものを冷蔵庫に放り込むのを手伝う。ポカリの残量チェックをしたら、まだ半分ほどあった。つまり1リットルは飲める。
「ちょっと、服、着替えてくる」
「そうしてください。俺、飯作りますんで」
「ありがとうございます、すぐ来ます」
俺は自分の部屋に戻って、スーツからいつもの普段着に着替えた。スーツをハンガーにかけて、離れた場所にかける。明日は明日で別のスーツを着るから、これが濡れても大丈夫だけど。明日のネクタイどれにしようかな。まあいいや。ネクタイのことなんか、今は考えなくてもいい。スマホを持って部屋を出ようと靴をはきながら、ふともう一度さっきの田中のメールを開いてみる。
『山本さんのこと物凄く好きです。あなたのこと考えると気絶しそう。今すぐ抱きたい。仕事も手に付かない。上司に叱られました。さっきのメールで昇天。完全保存版。もう死んでも離さない』
玄関に突っ立ったままで軽く三回は繰り返して読んだ。なんだこのメール。上司に叱られたとか、俺のせいか。これ、田中の本心かな。本心だよな。まただ、鼻の奥がツンとしてくる。我慢しろ、俺。メールを閉じて、玄関を出た。歩いて三歩で晩飯が食える。
 田中の部屋に来たら、田中はキッチンで晩飯の準備をしていた。米、洗ってたのか。
「おかえんなさい。テレビでも見ててくださいね」
「俺、また何も手伝わなくていいのかな」
「今さら何を手伝うって言うの。大人しく遊んでてくださいよ」
「はーい…」
テレビを付けても、見たいものがない。やっぱり消そう。何もすることがないから、ベッドにごろりと横になった。俺って物凄い贅沢だな。寝たままで飯が出てくるのか。いいのかな、こんなことで。急に自己嫌悪にかられて、起き上がる。何をしてるんだ、俺は。田中は料理中なので、俺に背を向けたままだった。その背中を見ていたら、どうにもたまらない気分になった。何ですか、この気持ち。俺は初めてでわからない。声をかければすぐに話せるのに、俺はスマホから田中にメールを打った。
『田中さんの部屋にいるだけで俺は泣けます。どうしてですか?』
立ち働いている田中はメールに気付かない。別に気付かなくていい。俺はメールを打ち続けた。
『後ろ姿見てると泣ける』
『最近食欲がないのは、田中さんのせい』
『素直じゃない俺は人生損してると思う』
『お前、どうして狼男なの?』
どうして、狼男なの?
「山本さーん、もしかしてメール連打してます?」
「えっ、バレた?」
「尻ポケットに入ってるスマホがさっきからメールを何着も受け取ってるらしくて」
ポケットに入ってたのか。じゃあすぐにバレるよな。すみません。
「俺の仕業です、別に読まなくてもいい。全然意味ないメールだから」
田中は濡れた手を拭いて、スマホを取り出した。見なくていいって言ってるのに。読んでる読んでる。しょうもないメール目の前で読まれるってのも軽く拷問だな。打った俺が悪いんだけど。
「山本さん、晩飯食いたくないの?」
キッチンから田中が俺に話しかけた。後ろ姿のままだ。どうして振り向かないんだろう。わざとですか。
「いや、食いたいです。鯖の味噌煮」
「こんなに嬉しいメールたくさんもらっちゃうと、晩飯どころじゃなくなっちゃうなあ」
「え、そんなこと言わないで作ってください…」
「はいはい、もちろん作りますけどね。ホント罪作りな人だな、あんた」
そう言いながら、田中は何か打っている。メールの返事かな。と思っていたら、俺のスマホがぶーぶー言った。
「山本さん、続きは晩飯の後にしてくださいねー。ていうか、俺もう料理なんかやめて爛れた生活モードに入りたい」
後ろ姿のまま、田中は言った。鯖の切り身をパックから取り出してる。俺は着信したメールを開いた。
『俺は確かに狼男だけど、山本さんのために一生人間でいます。だから安心してください』
ダメだ、俺もう我慢できない。さっきから我慢してたのに。ワサビ食ったみたいに、鼻の奥がツンとする。思わず立ち上がって、田中の方へ行った。包丁使ってないことを確認してから、その背中に抱きついた。
「晩飯の後にしてって今言ったでしょ」
「すみません、ごめんなさい」
「山本さん、もう泣きますよ俺。ホント泣きたいよ」
「泣きたいのは俺だ。ていうか涙出てる」
「いろいろしたいのはやまやまなんですけど、料理始めちゃったからな。もうちょっと待っててくださいね」
水道の水で、田中は手を洗った。俺は何故かこいつから離れられない。はっきり言って、邪魔だよなこれ。
「手離して、動けないから」
「はい、ごめんなさ…」
うわ、抱きしめられた。やっとこっち向いてくれた。相手が男でも、抱きしめられるの悪くないよね。キスされるのも、悪くない。全然悪くない。こんな俺は全然悪くない。田中の口の中は、反則技の甘さはなかった。普通の味だった。今あの反則技出されたら、俺死んだかもしれない。普通で良かった。
「山本さんね、気持ちはわかりますけど、向こうで大人しく待っててください。もうこっち来ちゃダメですから」
「え、ダメなのかよ」
「当たり前でしょうが。いつになっても鯖の味噌煮が出来上がりませんて。場合によっては集中できなくて包丁で流血沙汰かも」
そんなことになったら大変だ。俺は今度こそすごすごと戻った。胸が痛い。鼻の奥も痛い。急にLINE女の顔が目に浮かぶ。おい、別に今出て来なくていい。そういえばあいつなんて言ってたっけ。もっと自分を解放した方がいいとか言ってたっけ。

 


 鯖の味噌煮を一口食べてみたら、舌がジワリと痺れた。久しぶりに食べ物を口に入れたような感覚だった。味はもちろん美味い。お袋の作ったやつよりも美味い。田中の作るものは全てお袋のよりも美味い。おかしいな、よく「おふくろの味」とか言うのに、俺はお袋の味よりも田中の味の方がいいと思う。
「どうですか、鯖の味噌煮は」
「美味いです、凄く」
「それは良かった。味わって食べてください。マジで」
なんだ、その「マジで」って。俺はご飯を一口食べて、豆腐とわかめの味噌汁を飲んだ。
「マジで、ってどういう意味ですか」
「真剣に食べてくださいって意味です。俺が作ったんだって思って味わって食べてください」
「はい…」
生姜が効いてて美味しいな、この鯖の味噌煮。生姜なかったら、もっと違う味になりそうだ。こいつ何でこんなにお料理上手いんですか。才能ですか。子どもの頃からやってたのかな。味噌汁の豆腐は絹ごしで、柔らかくて舌に優しかった。鯖の味噌煮と味噌汁の組み合わせだって、全くいけると俺は思う。
「田中さん、いつから料理が趣味になったの?」
「子どもの頃から好きかも。食いしん坊だったから、俺。自分が食いたいもの作りたかっただけ」
「普通じゃない食欲の時も料理が好きだった?」
「いや、満月付近はあまり料理しない。食べたくないし」
「素朴な疑問だけど、家族全員狼なの?」
「俺と親父だけ。狼男のいろんなことは親父から教わった。お袋も妹も、俺らが狼男だってことは実は知らない」
へえ、そうなのか。じゃあ妹は狼女じゃない上に、何も知らないんだな。
「そういう遺伝なの?」
「そうです。もし俺に息子が生まれたら、多分狼男だと思う」
「俺、田中さんの子ども産めない。ごめんなさい」
「何言ってんですか、産んだら怖いし」
「…子ども、ほしくないの?」
「いらないよ。子どもほしいって思ったことないな。結婚願望もないし」
それを聞いて、少しほっとする。本当は子どもがほしい、とか思っていたらどうしようかとびびってた。そういえば、田中あまり食べてないな。え、まだ満月じゃないよね。と思ったら、鯖の味噌煮をぱくぱく食べ始めた。良かった。
「もうすぐ、満月かな」
微かに不安になって、俺は聞いた。田中は味噌汁をすすりながら「うん」とこともなげに答えた。
「ぼちぼち食欲なくなってくる頃ですね」
ということは、田中は無理して料理をしなくてもいいわけだ。いいのだろうか、俺、またコンビニ弁当にした方が良くないか。こいつが食べたくないのに、無理矢理料理させるのも悪い気がする。
「あ、でも山本さんが食べてくれるんで、喜んで料理しますし」
「…なんか悪いなあ」
「基本的に料理は好きなんで、心配御無用」
 あったかい味噌汁を飲むと、胸にまであったかいものが広がっていくみたいだ。味噌汁の味って、こんなに味わい深いものだったっけ。もう外は肌寒くなってきているから、余計にあったかさが胸に染みる。
「田中さんの作るもの、ホントいいね」
「そうですか? 良かった。味噌汁もご飯もお代わりありますよ」
「じゃあ、味噌汁もう一杯ください」
キッチンへ行って、田中はもう一杯味噌汁を持ってきてくれる。まだあったかい。鯖の味噌煮食べたり、卵焼き食べたり、ご飯食べたり、野菜食べたり、味噌汁飲んだり。これ、物凄くあったかい晩飯だよな。田中がこれ、作ってくれたんだよな。全部田中の手で作ったんだよな。
「…ベタだけど、超愛情こもってるよな、この晩飯」
「そうですね、今日は特別にいろいろ入ってますから」
「いろいろって何?」
「目には見えないいろんなもの。言葉にもできない。まあ察して」
察してって言われても、よくわからない。わからないけど、実は俺はさっきからまたワサビ現象が出ていた。鼻の奥がツンと痛い。特に味噌汁飲むと、ツンときてジワーとくる。
「だって、泣けるほど美味しいもの、ってのが山本さんからの注文だったでしょ」
そうだった。俺が注文したんだった。LINE女が変なこと言うから、ついそれに引きずられて。でも、田中は全部わかってくれた。泣けるほど美味しいものが何か、わかっていた。俺にはわからないことが、こいつにはわかっていた。
「山本さん、ほら、ティッシュ。鼻水出てる」
「あ、ごめん」
「一番キテるのは味噌汁みたいですねえ」
「うん、味噌汁キテる。なんかもうあり得ない。俺、泣きそう」
「とっくの昔に泣いてるしね」
俺、味噌味に弱いのかな。味噌で泣く男なのかな。よくわからないけど、鯖の味噌煮もかなり泣けた。生姜も効いてるし。卵焼きはオムレツとは全く違った味だった。同じ卵でも、和風と洋風って全然違う。小学生でもわかることを、今さら実感する。ただの生野菜ですら涙が出る。この和風ドレッシング美味しい。
「買ってきたドレッシングですみません。さすがにドレッシング作るの面倒だったから」
サラダをもそもそ食べてる俺に向かって、田中は言った。
「田中さんて、ドレッシングとかジャムとかも美味いもの知ってるよね」
「食いしん坊ですから。自分の欲望に正直なだけ」
え、今の言葉もう一度言ってください。
「今なんて言った? もう一度言って」
「え? 食いしん坊?」
「それじゃなくて。その後」
「自分の欲望に正直? ですか?」
そうそう、それです。それ、俺もやりたい。それがうまくできない。欲望って言うと身も蓋もないけれど、要するに自分に正直にってことだよな。俺はご飯を食べて、卵焼きの最後の一口を食べて、きちんと噛んで飲み込んでから口を開いた。
「自分に正直になる秘訣、何か知ってる?」
「えー、突然そんなこと言われても。性格かもしれないですね」
「俺、うまくできないんだけど。正直になるのが」
「そうですね、素直じゃない山本さんは人生かなり損してますね」
確かに損していると思う。損するのは悔しい。俺だって、人生得したい。同僚のLINE女なんかは人生勝ち組だろう。この田中も勝ち組だろう。今の時点で俺は負け組だ。このまま負け組で終了するのは何としても阻止したい。
「やっぱり人生損してるよな」
「ですね」
「俺、これ以上損したくない」
「だから今日、物凄くがんばって晩飯作ってあげたじゃないですか。泣ける晩飯だったでしょ? 素直に泣けばいいんですよ」
言われなくても、俺はさっきからぼろぼろ泣いていた。鼻水が出る。ティッシュください。
「泣いてます」
「いや、足りないね。もっと泣いた方がいい」
「何で足りないってわかるんだ」
「俺が料理の中にバンバンいろんなもの入れたのに、まだ泣き方足りないなあ」
「料理の中に、一体何入れたんだよ。涙出るもの入れるってドラえもんかよ。どうやってそんなことするんだよ」
俺、かっこ悪い。鼻水出る。涙出る。飯食いながら泣くなんて、生まれて初めて。でも、何故か泣ける。ただ美味しいから泣けるわけじゃない。本当にこの中に何か入ってる。
「ご飯、おかわりしますか?」
「いいです、結構食べた。腹が一杯っていうか、胸が一杯」
またティッシュを失敬して、ぶーと鼻をかむ。向かいに座っていた田中が、俺の隣に来た。ぐすぐす言ってる俺の肩を抱いて、「もっと泣け、バーカ」と言った。どうせ俺はバカだ。素直じゃないし、正直でもない。思ったことは暗いところでやっと呟ける程度だし、非日常の吊り橋効果の中でしか言いたいことも言えない。
「山本さん、俺が狼男なのが、寂しいんだよね」
田中の頭が俺の頭にごつんと当たる。別に痛くなかった。
「…寂しいです」
「だから、一生人間でいますってメールしたでしょうが」
「それでも寂しい。どうして?」
「うーん、それは仕方ない。俺と山本さん、同一人物じゃないから」
よくわからない。どういう意味だろう。田中と俺が別の人物だってことくらいは、俺でもわかっている。
「結局さ、人間一人だからね。どんなに好きな人がいても、その人と同じ人にはなれないし。それで寂しくなることはあるかも」
「じゃあなに、俺は田中さんになりたくてもなれないから寂しくて泣いてるの?」
「ちょっと違うけど、それと似てるかもね」
やっぱりよくわからない。これ、LINE女ならわかるのか? わからないのは俺だけなのか?
「そうか、山本さんって本当に恋したことなかったのか」
「え、そんなことありません」
「いや、そんなことある。絶対ある。初恋だから戸惑ってるんだ」
「ええええ、俺もう三十路になるんですけど」
「年なんか関係ないし。今の山本さん見てると、自分が激しく恋してるのについていけなくて戸惑ってる姿にしか見えない」
俺、こいつに激しく恋してるんですか。まあ恋はしてると思うけど、激しくですか。これが初恋なんですか。幼稚園のたんぽぽ組の頃に好きになったエミちゃんが初恋だとばっかり思ってたのに、違ったんですか。エミちゃん、ごめん。
「エミちゃんが初恋だと思ってたのに」
「誰ですかエミちゃんって。どこの誰ですか。今すぐそいつを殴りに行こうかやあやあやあですよ」
「古い歌だな。幼稚園の頃に、初めて好きになった子。なんとかエミちゃん。顔も忘れた」
「山本さん、そんなのは初恋の数に入りませんから」
 何だかあり得ないほど胸が痛い。俺、どこか悪いんじゃないのか。息も苦しい。鼻詰まってるし。なんてことを経験するのは、別に初めてじゃない。田中に出会ってから、何度も何度もあった。そのたびに見ないふりをしてきた。そうだ、俺は見ないふりをしてきたんだ。初めてこいつの金色の目を見た時も、こいつが美人にナンパされたのを見た時も、こいつの目を舐めた時も、一緒にドライブに行った時も、鍾乳洞の中や川のほとりでも、そしてこいつが狼になった姿を見た時も、いつも俺は胸が痛くて息が苦しくて鼻の奥がツンとした。それが何を意味するのかは追及しなかった。怖くてできなかった。ちくしょう、涙が出てしょうがない。男のくせに、俺は泣き過ぎだ。でも、男だって涙が出てもおかしくない。泣くのは女の専売特許ってわけじゃない。あんまり涙が出るから、ついでにしゃっくりまで出てきた。田中が俺を抱きしめる。
「…素直じゃなくて、ごめん」
「ホント、素直じゃないよね、山本さんて」
「素直になる方法がわからない」
「その調子で大泣きしてれば、多分1時間後にはそこそこ素直かも」
泣けばいいのか。大泣きすれば、人間素直になれるのか。俺は田中に抱きついて、大泣きに泣いた。田中のシャツに俺の涙とか鼻水が付いた。でも、田中は気にしなかった。そうだよ、俺は田中と出会って後悔なんかしていない。田中を好きになって嫌なことなんか何もなかった。こいつは俺を凄く好きでいてくれる。凄く安心できる。気を許せる。多分一緒に暮らしていても、何の違和感もないと思う。
「山本さん、今日泊まってく?」
田中がぼそっと呟いた。俺は黙ってうなずいた。今さらうちに帰れるか。こんな大泣きの状態で一人で寝るとか残念過ぎる。付き合え、田中。全部お前が悪い。もう嫌だ。俺、明日、仕事休む。
「…田中さん、狼に変身してもいいです」
「えっ、せっかく一生人間でいますって宣言したのに。何それ」
「変身してもいいけど、一人で変身するの禁止」
「ああ、一緒に見に来るわけですね。いいですよ」
「今度いつ変身する予定?」
田中は俺を抱きしめたままで笑った。胸を通って身体の振動が伝わってきた。
「別にいつでもいい。無理して変身しなくても、生きていけるから、俺」
こいつの声って、結構低かったんだな。今、初めて気付いた。田中の微妙に低い声が、耳に心地よかった。

 


(続く)

-----