ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

とても、こわい

 前回の投稿で、神のようなケアマネに出会ったということを書いたのだが……

 そうは言っても、介護の不安は去っていくわけではない。心強いケアマネという味方を得ることがまずは第一だが、実際に介護をするのは我々家族だ。果たして無事にできるのか、母が倒れないか、兄の負担は大きくならないか、何よりも私が倒れてしまわないか。そしてまた父が救急車に乗ることになりはしないか(なるだろう)。

 ひどく、不安だ。そして、とても、ひとりぼっちの気持ちだ。

 大丈夫、母がいる、兄もいる、ケアマネもいる。私一人でやるわけではない。わかっている。わかっているのだけれど。

 なんなのだろうか、この孤立感。泣きたい。それなのに、涙も出ない。誰か、助けてって思う。不安しかない。一人ではないはずなのに。大丈夫なのに。きちんと助けてくれる人がいるのに。この不安。この心配。この孤独。

 多分、夜中に目が覚めてしまったから、こんな風に思うだけなのだ。そう。きっとそうだ。朝になれば。きっと。

 それでも私は、月曜日に訪問してくれるはずのケアマネに相談することを、あれこれと考えてメモをしてそしてまた考えて、もっと聞くべきことはないかと心配になっている。
 聞き逃すことがあれば、また電話すればいいだけの話だ。父は要介護になった。ケアマネはこれから毎月やってくる。いつでも電話をしろと言ってくれる。母もがんばっている。兄も一緒に考えてくれる。私だけではない。私一人の肩にかかっているわけでもなんでもない。むしろ私は何もしていない。何も、何一つ役に立っては。

 これがいけない癖だ。自分の働きが極端に足りないと思い込んでしまう。私の病気からくる症状なのだが、自己評価が極端に低いので、自身ががんばっていることに気づいてやれないのだ。
 私がやっていることは何か。私にしかできないことは何か。電話やメールによる連絡は全て私の仕事だ。ネットを駆使した買い物や情報収集も私にしかできない。そして何より、私が倒れたら母の仕事が増える。倒れないようにすることも、私の大事な役割だ。
 これからヘルパーを呼ぶことになるだろう。そうすれば、母の家事の負担が減るかもしれない。慣れて信頼関係ができあがるまでが大変だが、少しずつできてくるはずだ。両親とも訪問診療に切り替えようと思っているので、通院の負担も減る。今までは兄が通院の付き添いをしてくれていたが、それもしなくて済むようになり、兄の負担もきっと減るだろう。大丈夫、大丈夫だから。そんなに心配しなくても、きっと何とかなっていくから。

 それなのに、何がこんなにも苦しくつらいだろうか。不安なのだろうか。きっと、「家族」だから。一つの「共同体」だから。一人の痛みはみんなの痛みになるからだ。
 救急搬送された父がとても苦しそうにしている姿を見れば、心配で心配でいても立ってもいられない。去年の夏、母が救急搬送されたときもそうだった。逆に考えれば、去年のはじめに私がODして救急車で運ばれた際に、家族がどれだけ心配して不安になったことかと思い出す。これが「家族」なのだろう。苦しみを共に担うのが家族なのだ。

 誰か助けて、と思う。涙を流したい。子どものように泣き喚きたい。誰かにそれを受け止めてほしい。けれども、そんなことはできない。苦しいのは、私だけではない。わんわん泣いて心配をかけてはいけない。それに、今さら涙なんか出てこないのだ。どんなに泣きたくても。泣きたいのはむしろ、母なのだろうと思う。母を差し置いて私が泣くことはできない。

 大丈夫、大丈夫だから。私は、がんばっているのだから。これ以上がんばらないで。それよりも、倒れないで。私が倒れることが、一番の罪だから。

 この苦しい不安と孤立感、これからどうやって付き合っていこう。与えられたものを、どうやってこなしていこう。どうやって、一人で立とう。どうやって……

 大丈夫、大丈夫だから。

 思いつめないで。

 

 けれども、とても、こわい。