ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

【小説】1 永遠に終わらない冬

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十二月二十四日


 ある男の子から好きだと言われました。男の子などと表現するのは申し訳ない年齢ではありますが、私にとって彼はいつまでも男の子です。それに彼はまだ大学生で、既に会社で働いている私にしてみれば、実際に年下でどうしても男の子という風情が感じられるのです。私は彼のことをとても愛していますが、この場合の愛情は身内に対する愛情と言えるでしょう。当たり前のことだと思いませんか。


 何故なら彼は、私の実の弟なのですから。


 同じ両親の元に生まれ、母の作るご飯を共に食べて、生まれた時から一緒に育ってきたのです。そう、私たちは姉と弟のきょうだいなのです。いずれかが連れ子であるとか、もらい子であるとか、そんな事情はありません。戸籍を見れば一目瞭然です。私も弟も海外旅行のためのパスポートを作ったり、様々な機会で戸籍を取ることがありましたから不審な点は何一つありません。れっきとした実の姉弟です。
 彼にそのことを言っても、分かっているの一点張りです。分かっていないではないかと私は首を傾げましたが、本人は分かっていると言い張ります。分かっているのならば、好きになっても仕方がないと理解できそうなものですが、それでも好きなものは好きなのだと言って聞かないのです。


 けれども、とても困ったことがあります。これは誰にも言いたくないので、こうして日記に綴ります。
 私も弟と同様に、きっと恋をしています。もちろん当の弟に、です。身内への愛情と言いながらも、日増しに強く逞しく、そして美しく成長していく弟を眩しい思いで見ていたのは事実です。最初は姉である私の方が身体も大きく力も強かったのに、いつの間にか弟は大きくなっていました。私が学校の帰り道に他校の男子生徒からちょっかいをかけられて困っているところを通りがかり、猛烈な勢いで追い払ってくれたこともありました。その時は少しばかり殴られたり蹴られたりしましたが、弟の方が強かったほどで私は驚いたものです。
 私と弟は、顔が全く似ていません。二人で歩いていると、若いカップルに見えるみたいです。弟は父にそっくりで、私は母にそっくりでした。家族全員で歩くと間違いなく一家に見えますが、姉弟で歩くと他人に見える。それをいいことに、カップルでなければ照れくさくて出かけられない場所(デートスポットになるような所やカップル限定メニューを出すレストランや色々と)に、二人連れ立って行きました。お互いに好きでもない異性に対してのカモフラージュとして利用し合ったりもしました。余りにも私たちは似ていないので、いつも上手くいきました。
 いつか弟は「自慢の弟」となり、「素敵な弟」となり、「格好良い弟」となり、徐々に私は、もし弟に恋人ができたらどうしようかと感じるまでになってしまいました。建前上、きっと私は応援するでしょう。けれども心の中では、早く別れればいいと思うであろうに違いありません。普通のきょうだいでも仲が良く結びつきが強いとそのように感じるものらしいので、私にしてみればなおさらでした。
 私は自分で意識していませんでしたが、いつの間にか弟にきょうだい以上の感情を抱いていたかもしれません。何も言われなければ、絶対にこのことに気付かなかったと思います。


 今日はクリスマスイブでした。街はカップルで溢れています。お互いに恋人のいない私たちは、またもカップルの振りをして、新しくできた夜景スポットに行きました。一人で行くのが侘びしいというわけでもなく、弟はボディーガードのような存在でもありましたから。
 巨大なクリスマスツリーはとても綺麗なイルミネーションで飾られ、街は美しく光り輝き、私は心から満足しました。新しくできたカフェのクリスマスケーキも美味しくて、弟とも楽しくお喋りしました。私たちは元々仲の良い姉弟だったので、どこへ行っても自然でした。まさに家族としか言いようのない存在です。言うまでもないことです。


 帰り道の電車は非常に混み合っていました。ドアの近くに何とか寄り掛かることができたので、少しは楽でした。ぎゅうぎゅう詰めになって潰れそうな私を、弟が腕に力を入れてほんの少しのスペースを作り、息苦しくないように守ってくれました。逞しく頼もしい子だと思い、結婚するならこれくらい自分を大切にしてくれる人を選ばなくちゃなどとぼんやり考えました。
 次の駅に着き、人々が降り、また新たに多くの人々が乗り込んできます。さすがの弟も耐えられなかったのか、私を一生懸命腕で守りながらも力が抜けていっていくのを感じました。私が、いいよ大丈夫だよ、と言うと、弟は頷き溜め息をつきました。ひでえ混みようだなと少し怒っているようでした。いくつかの駅を通過するたびに、弟は頑張って私をガードしてくれました。
 ようやく自宅の最寄り駅に着いたら、弟は私の手をぎゅっと握って、人々をかき分けて電車を降りました。二人して大きく深呼吸して冷たい空気を吸い込んだら、生き返った心地がしました。
 けれども、弟はいつになっても私の手を離しません。大人になった姉弟がいつまでも手を繋いでいるのはおかしなものです。周囲から見ればカップルにしか見えないのは良いのですが、私たちにとって姉弟であることは自明のことなので、いつまでも何をしているのかと私は手を離そうとしました。それなのに弟は、強い力で私の手を握ります。そのまま足早に階段を降りて改札を通り抜け、弟に手を引っ張られる形で私は小走りをさせられました。文句を言っても聞きません。何せ力は弟の方が強いのですから。
 いい加減疲れたと思った頃、弟は立ち止まり、私の手をぐいっと引っ張りました。私は足元がよろめいて、弟のすぐ目の前に引き寄せられました。


 俺、姉ちゃんのこと好きだよ。


 弟は私の目を見て言いました。確かにそう言いました。私が聞き返しても、同じ言葉を繰り返しました。私は弟が言わんとしている意味がとらえ切れずに、姉ちゃんもあんたのこと好きだよ、と答えてしまいました。弟は怒った顔をして私を見ました。弟は低い声で、そういう意味じゃなくて恋愛感情だよ、と言いました。私は初めて弟の言いたいことを理解しました。そして、弟の声が実はとても低音だったということを初めて知りました。毎日一緒にいて、彼の声がこんなに低いことに気付かなかった自分が、何やら妙でした。
 私たちってきょうだいだよ、と私は言ったのですが、弟は分かってると言うだけでした。血が繋がっていることも分かってる、両親が同じであることも分かってる、結婚ができないのも分かってる、結婚どころか恋をしちゃいけないことも分かってる、何もかも分かってると言います。分かっているなら我慢するしかないでしょ、と言ったら、だから我慢してるじゃないか、と答えが返ってきました。


 日記に綴るのも恐ろしいことですが、弟は暗い道端で、とても強い力で私を抱きしめました。弟の胸は大きく、腕は太く、思っていたよりもずっと背は高く、かぎ慣れた弟の匂いがして、そして「男」の匂いがしました。私はその腕から必死で逃げました。弟は抱きしめることはやめてくれましたが、再び片手をぎゅっと握って、家に帰り着くまで決して離してはくれませんでした。私はものも言えませんでした。


 恐ろしくて恐ろしくて、私はどうすれば良いのかわかりません。すぐにでも家を出てアパートでも借りて自活しようかとも思いました。しかしそれは両親が許さないでしょう。両親は女の一人暮らしを絶対に許さず、出て行く時は結婚する時だと常日頃から口を酸っぱくして言っているのです。そして弟はまだ大学三年生で、彼も家を出る必要がありません。大学は自転車でも行くことのできる距離にありました。私も自宅からその大学に通い、卒業しました。
 これから毎日、私は弟と顔を合わせなければなりません。私たちは嫌が応でも一緒に暮らし続けなければならないのです。今までと同じように。
 家の玄関の前で、弟は小さな声で言いました。


 姉ちゃん、俺はきっと誰とも結婚しない。好きな女も、できないよ。どんな女もかぼちゃに見えるんだ。


 弟は私の手を離して、玄関を開けて家に入りました。いつもと全く同じ声音で、ただいまと叫びました。ああ、やっぱり弟の声は低いのだと改めて思いました。
 そして私もいつものようにただいまと言ったつもりでしたが、声が震えたかもしれません。
 弟は私を振り返らずに家に上がり、父と母のいる居間に行きました。ああ、弟の背中はあんなに広かったのだと改めて思いました。
 そして私もコートを脱ぎながら彼に続きました。平気な顔をしたり、笑ったりするだけでも、死ぬ思いでした。
 お父さん、お母さん、この子さっき私のこと好きだって、恋をしているって言ったのよ、しかも私もこの子のことが好きかもしれない。心の奥底で、もう一人の私が呟いた気がしました。


 夜も更けた今、すぐ向かいの部屋には弟がいます。私の部屋に入ってきたりすることはありません。その代わり、携帯にメールが届きました。「さっき言ったこと、本気だから。」と一言だけ、絵文字の一つも入っていませんでした。まだそのメールに返事を出すことはできません。
 弟が怖い。私自身が怖い。これからの生活を思うと、私はぶるぶると震えがきます。
 とても混乱しています。でも、誰にも相談することができません。
 私は、とても怖い。