ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

苦しんでいるあなたにかける言葉はない

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 2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が起きた。日本語では「きゅうてんいちいち」と言われ、英語では「セプテンバーイレブン」などと言われている。今から18年前のことだ。イスラム過激派のテロ組織「アルカイダ」による、アメリカへの大規模なアタックだった。多くの飛行機がハイジャックされ、ワールドトレードセンタービルやペンダゴンに突っ込んだ。数えきれないほどの人が、巻き込まれて殺された。その衝撃的なシーンは世界でリアルに中継され、私もニュースで見た。中年以降の人はよく覚えているだろうし、お若い人は子ども時代の記憶として持っているかもしれない。

 

 私は当時30歳で、結婚して二ヶ月少しが経つ新婚の妻だった。夫の転勤で名古屋に移り住み、毎晩帰りの遅い夫のために夕食を作って待つ日々だった。広いマンションの部屋を掃除をし、洗濯をし、アイロンをかけ、買い物をし、料理をし、誰とも話すことはなく、知り合いもいなくて、ただルーティンワークとして家事をこなすだけの日々だった。

 

 新婚だというのに、夫との折り合いはよくなかった。結婚する前から雲行きは怪しかった。直前であっても結婚を取りやめればよかったのに、結婚しなければならない事情があった。私は無理やり彼と結婚し、仕事を辞め、住み慣れた東京から離れて名古屋へ引っ越した。

 

 毎日が、不思議と虚しかった。私の足は地についていなくて、いつも床からほんの3センチほど浮き上がったような感覚で、ふわふわと歩いていた。話す相手が誰もいないので、いつもテレビをつけっぱなしにしておいた。マンションにひかれていたケーブルテレビで、レシピを学ぶために料理専門チャンネルを選ぶか、懐かしいアニメが見られるアニメ専門チャンネルを選ぶことが多かった。新しい料理をいくつもマスターして作れるようになったし、今まで見たことのなかったアニメ「カウボーイ・ビバップ」にも出会えた。だからなんだというのか、と思いながら、毎日を過ごしていた。鏡を眺めると、私の顔は少しずつ痩せていっていた。

 

 9月11日も、夫の帰りは遅かった。ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ映像を、私は一人でキッチンから見た。確か味噌汁を作っていた気がする。豆腐の味噌汁だった。いや、覚えていない。どちらでもいい。私は確かにこの目で見た。高い高いビルに、飛行機が突っ込んで火を噴いている。煙が物凄い勢いで上がっている。炎がめらめらと躍っている。高い青空の上で。アナウンサーが何かを必死で語っている。確か女性の声だった。東京のスタジオか、それとも現地のレポーターか。砂ぼこりの中、人々が逃げ惑う映像が映る。

 

 それが、なんだというのか。

 

 私は何も思うことなく、テレビのリモコンを手に取り、アニメ専門チャンネルに変えた。

 

 何も思うことはなかった。地獄絵図のようなその映像を見て、何も思わず、何も感じなかった。面白いとも思わなかったし、悲惨だとも思わなかった。気の毒だとも思わなかったし、嘘か本当かもどちらでもよかった。ニュースの映像は私になんの感慨も与えなかった。

 

 9.11の思い出は、それだけだった。帰宅した夫がテレビをつけて驚き、「おい、アメリカすごいことになってるな」と大声をあげているのを聞いても、「そうみたいね」と一言返しただけだった。このときの私なら、目の前で誰かが切腹のひとつやふたつしても、何とも思わず眺めていただろう。

 

 人間は感情の生き物だ。生きている限り、喜怒哀楽を感じる。感じては、何かしらのリアクションを出す。そして対人関係を築いていく。お互いに感情の刺激をしあって成長していく。その大切な感情を根こそぎ奪われる体験を、あなたはしたことがあるだろうか。人間として重要なものをもぎ取られる体験を。

 

 これが恐らく、重症の鬱の仕業であろうことは、約半年後の2002年2月に判明することになる。

 

 診断に至るまでの日々は、正直言って地獄だった。9.11の地獄絵図とは異なるが、私にとっては地獄のような日々だった。細かいことはあまり記憶にない。だが、夫からの数々のプレッシャー、暴力的な態度、言葉にできない苦しみ。

 

 夫は7月に転職したばかりの仕事を嫌がり、年末には休職した。駅前のメンタルクリニックに行き、自分がどれほど病んでいるかを訴えていた。そのたびに私は同席させられた。仕事に行っているはずの夫は毎日家にいて、私のパソコンを使って遊んでいた。私の外界との接点であるインターネットはあっさりと奪われ、誰かに連絡を取ることもかなわず、ぼんやりと本を読んで過ごすしかなかった。本を読んでも中身が入ってこない。

 

 たいしたことはしていないのに、ひどく疲れる。料理がうまくできない。味がわからない。毎日していた掃除がひどく億劫だった。なんとか洗濯はしていたが、抱えた洗濯物がとても重い。シャワーを浴びるのが面倒になってきた。朝起きても着替える気持ちにならない。こたつに入ったままで、何もせず、横になったり読めない本を読んだり、何もする気にならない毎日だった。どうして自分が何もしたくないのか、皆目見当がつかなかった。

 

 ある日突然、涙が出た。その涙に意味はなく、いきなりぼろぼろと目から何かが溢れてきた。悲しくもない、嬉しくもない。何も感じない。何も思わない、何も言うことはない。それなのに、涙が出てくる。なぜかわからない。そんな私を見た夫は、「医者へ行こう。明日」と言った。私は翌日、夫に連れられて彼がかかっているメンタルクリニックへ行った。私は常に夫に同席させられていたのに、夫は私の事前カウンセリングと診察には同席しなかった。

 

「はっきり言いますが、あなたは重度の鬱病です。ご主人よりも深刻です」

 

 主治医から飛び出した言葉は、私にはまったく理解できなかった。鬱という言葉は理解できる。しかし、私は鬱とは関係のない人間だと思っていた。こんなに明るく社交的な私のどこが鬱病なのか。いつもにこにこしていて、いつも楽しくしていて、いつも、いつも。何が鬱なのか。何を言っているのかわからない。

 

「とにかく寝て、休んで過ごしても、完治までに最低2年はかかります」

 

 心がついて行かなかった。何を言われているのかわからず、私は「どうして私が?」とたずねるしかできなかった。

 

「恐らく、ご主人との生活のストレスが原因でしょう」

 

 そこまで聞いて、私は心のどこかでストンと音がしたのを感じた。そうだったのか。そうか。そうなのかもしれない。そうだと思う。そうだ。そうだ。そうだ。それだ。私は。私は。私はあの人と一緒にいることが、ずっとずっと苦しかった。好きで結婚したはずだったのに、愛しているはずなのに、今だって嫌いじゃないのに、でも。なんであんなに、私を苦しめるの。なんでそんなに、私を圧迫するの。

 

 夫と共にクリニックを後にしても、私はなかなか鬱病だと言えなかった。が、言わないわけにはいかなかった。

 

「私、重度の鬱病だって言われた。あなたより深刻だって」

 

夫から出てきたのは驚きの言葉でも労わりの言葉でもなく、舌打ちだった。

 

「ちっ、なんだよそれ。俺だってしんどいのに」

 

 こういうとき、何を感じればいいのだろう。妻が重い病気だと言われても、舌打ちする目の前の夫。舌打ちで済ませる、私の夫。

 

 雪が、降っていた。とても寒かった。それは、真冬のことだった。

 

 何も感じない。何も思わない。涙すら涸れ果てた。私の大切な「心」は、根こそぎ奪われた。誰が奪っていったのだろう。そんなことを考えるだけのエネルギーもなかった。私はからっぽになった。空虚になった。何もなくなった。

 

 9.11に何も感じなかったように、私は私自身のことにも何も感じなくなった。自分自身がどうでもよくなった。生きている価値がわからなくなった。なぜ生きているのか。なぜこんなことをしているのか。なぜこんな人と一緒にいるのか。なぜ私は私を生かしているのか。なぜ私は今、包丁を持っているのか。なぜこれで、自分を刺さないのか。なぜこれで、夫を刺さないのか。なぜこれで、何もかも終わりにしないのか。どん底にいて、自分自身を傷つける力もなかった。何も感じないから、何もする気にならなかった。

 

 その後のことは、またいずれ語ることにしよう。

 

 18年経過してこれを書いているということは、私は生きて、ものを感じて、ものを書いているということだ。これを読んでいるあなたが人生の中でたくさんの辛酸をなめてきたように、私もまた辛酸をなめた。あなたがつらかったように、私もまたつらかった。涙も出ないほどの苦しみを体験してきた。人生は苦しい。人生はつらい。生きることは困難を極める。それが、人生だ。

 

 だが、人間は強い。人は苦しみを乗り越えられる。どうやって乗り越えるのかは、それぞれにやりかたが違うし、支えてくれる人も違う。死んでしまう人もいる。私も何度も死のうとしたし、実際に救急車で運ばれたこともある。それでも生き抜いてしまった。ここまで来てしまった。生きてしまった。もう、生きるしかないのだ。人は強い。私は自分自身の人生で、自分の弱さと強さを知った。

 

 今、苦しんでいて、生きるか死ぬか悩んでいるあなたに、かける言葉なんかない。私はそんなにご立派な人間ではない。自分が生きてくるだけで精一杯だった。他の人のことまで考えてはいられない。だからあなたにかける言葉なんかない。

 

 ただ、私は生きた。生き抜いた。それだけ、見てくれ。それだけでいい。

 

 それだけでいい。きれいごとなど言わない。

 

 生きろ、なんて言わない。死ぬな、なんて言わない。あなたの好きにしてくれ。ただ、生き抜いた人がいることを、見てくれ。

 

 それだけで、いいんだ。