ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

2018年、新しい年

あけましておめでとうございます。

年末から始まった「おはぎの重箱」、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

私は眠るためのお薬をさっさと飲んで、とても早寝してしまいます。

そのために深夜に起きだすことも多いです。

今日は年が明けたばかりの0時過ぎに、ぱかりと目が覚めました。

 

せっかく起きたので、さっそく聖書の通読を始めました。

第一日目は、マタイによる福音書1章と、創世記1〜3章でした。

最初はスムーズに進むでしょう。

しかし、後になるほど大変になるでしょう。

なんと言っても「飽きて」きますので…

途中でギブアップしないように、がんばりたいと思います。

 

創世記の1〜3章では、天地創造、人の創造、人のやらかした大変な罪が描かれています。

この木になる実だけは食べてはならない、でも蛇にそそのかされて食べちゃった、そしてエデンの園を追放された、という有名なお話ですね。

 

いつも思います。

アダムとエバがこの実を食べなかったら、この世は違っていたのだろうか。

私たちの人生の苦しみも、今ほどはつらくはなかったのだろうか。

考えても仕方のないことなのかな?

現実はこのように厳しいのですから。

 

けれども、マタイによる福音書では、キリストである幼な子イエスがお生まれになるお話が書かれています。

一人の人(アダム)の罪が、一人の人(イエスキリスト)の誕生と十字架、復活で許される。

その大いなる物語の始まりが、聖書通読の初日に早くも現れます。

これは私のための物語。

身の引き締まる思いです。

 

世の中はお正月一色です。

でも、教会ではまだもうしばらく、イエスキリストのお誕生を祝う期間です。

 

私のために、この小さな私のために、イエスキリストがお生まれになってくださった。

そのことを忘れずに、毎日常に忘れずに、「ありがとう」と思っていられるように、ゆっくりと聖書を読み続けたいと思います。

 

 

(リリングの「ヨハネ受難曲」を聴きながら)