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二十代の頃、一緒に働いていた先輩女性の夫さまが胃がんで急死なさったことがあった。思い出してみれば、今の私よりも年下だった。ホスピスにお入りになったので、一度だけお見舞いに行ったのだが、物凄くエネルギーを使った記憶がある。召されていく時間を共に過ごすことの壮絶さを感じた。
その先輩女性とは長らくご無沙汰していたが、数年前にやはりガンで亡くなったとの噂を聞いた。たくさんお世話になったし、勉強させていただいた。そしてきっと、たくさん私について感じるものがあっただろうが、我慢していてくださった。隠していたことも、知っていただろう。恐らく。
彼女の夫さまの葬儀前夜式も葬儀もどちらも出席したのだが、肝心の礼拝内容を全く記憶していない。ただ、まだ若かった私には喪服がなく、前日にデパートまで買いに走ったことばかり覚えている。その後もたくさんの葬儀に出たが、みんな内容を覚えていない。それほどにショッキングなものなのだろう。
若い頃から「死」というものに深く憧れ執着してきたけれど、それは恐らく「生」への執着の裏返しだったのだろうなとも思う。生も死も、およそ客観視できないレベルの執着の仕方で、自分でもみっともないと感じることがある。それは多分、祖母が「ある朝死んでいた」ことから始まったのだろう。
私は毎日、「生と死をやけ食いしながら」生きている。
暇人(果たして病人を暇人と定義しても良いのかはともかく)だから、こんなことばかり考える。死ねば天国に行けるのかは知らない。死んだら楽になれる保証はない。生きていれば苦労があるのは知ってる。しかし楽しいことも意義あることもある。それなのに、いつも暗い木の陰から死神が私に手招きする。
シューベルトの「冬の旅」が大好きなのも、主人公は死と隣り合わせなのに、死にすら受容してもらえない、しかし生きる場所もない、それなのにその人生を密かに楽しんでいる不気味な感触が、私にしっくりくるからだろうと思われる。
(こんなこと言ってますが、セブンイレブンの春巻はとても美味しいので、私は大好物です。春巻が好きなあなた、セブンイレブンが好きなあなた、ぜひ召し上がってみてください。おいしいよ!)(生きる気満々)(ドーナツも美味しい)(セブン最高)(むしろセブンがないと死の世界)