ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

鬱とのたたかい

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私が鬱病だと診断されたのは、2002年2月のことでした。

当時住んでいた名古屋のメンタルクリニックで、ビックリするような診断を受けました。

 

「あなたは重度の鬱病です。

回復するには、最低でも二年はかかります。

鬱病はね、社会的損失なんです。

一人の人が、まったく生産活動ができなくなるのだから」

 

(数年後に病名は「双極性障害2型」に変更されました)

(さらに数年後には「複雑性PTSD」も診断に加わりました)

 

まさか私が鬱病になるなんて、想像したこともなく。

当時はまだ、鬱病ってそんなにメジャーではなかったし。

今ほど患者さんも多くなかったと思います。

 

最初は現実味がなく、鬱病を甘く見ていました。

診断とほぼ同時に離婚し、親元に帰りました。

数ヶ月後には、パートの仕事を始めて…

 

がんばりすぎました。

 

私は訳の分からない状態に陥り、入院することになりました。

最初の入院から、鬱は急激に重症化した気がします。

 

結局、私はこの十数年の間に、4回入院しました。

うち1回はかなりの長期入院でした。

他の1回は閉鎖病棟でした。

さらに直近の入院は、先日このブログにも書きましたが、自殺企図による入院でした。

 

最初は、「二年療養したらまた仕事をして…」なんて考えていました。

とんでもなかったです。

入院に次ぐ入院、気力も体力も損なわれ、時折は錯乱や発作を起こし、自殺未遂も起こす。

この十数年は、ただの自宅療養ではありませんでした。

 

まさに、病との闘いでした。

 

その闘いは、今も終わっていません。

 

しかし、2010年頃だったか…

素晴らしいサイコセラピストの先生に出会えました。

彼女と出会えて、ずいぶんと良くなりました。

もちろんその後もひどくなったりしているのですが、かつての本当に重症だった自分と比べたら、とてもとても良くなっています。

 

だからといって、仕事ができるわけではなく、自活できるわけでもない。

そんなに簡単な病気ではなかった…

最初の医者の言葉「二年はかかります」どころか、20年近くかかっています。

 

失われた十数年間。

もしも元気だったら、何ができただろう。

私の人生は、どんなものだったのだろう。

そう思うこともありました。

 

けれども、今はそうは思わない。

 

この十数年は、失われたわけじゃない。

これが私の人生なのです。

病と共に生きるのが、私の姿なのです。

憎くて、悔しい。

こんなものさえなければ。

でも、これが私の人生です。

病を与えられたからこそ、出会えた人がいる。

感謝できる人々がいる。

打ちのめされたからこそ、強くなれた。

 

この病は現実であって、美談でもなんでもありません。

ただ、闘いの日々です。

それでもそこに、感謝がある。

支えてくれてありがとうと、涙を流して叫べる。

家族に、医者に、セラピストに、友人に、恩師に、たくさんの人に。

 

ありがとうございます。

あなたが支えてくれなければ、私は死んでいました。

 

本当にありがとう。

 

 

今日も私は自分のために、このブログを書きました。

誰かのお役に立つとは思わない。

ただの私のひとりごと。

 

でも、もしも通りすがって読んでくださったかたがいたら、ありがとう。

 

 

私は今日も、闘っています。

 

あなたが何かと闘っているのと、同じように。