ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

夫のニセ鬱、妻の鬱

ちょっとした、昔話です。

おヒマな人はどうぞ。

 

私が結婚した相手は、暴力的な男でした。

実際に顔や身体を殴られたり蹴られたり、といったことはなかった。

一見、紳士的な人物。

けれども、態度と言葉で抑圧してきました。

本人はそんなことをしているつもりは200%なかったはずです。

 

少しでも自分の思い通りにならないと、目が血走ってきて(怖い)、イライラして、暴力的なオーラに包まれてました。

それだけで恐ろしかった。

「俺がやろうとしていることに口出ししたら怒る」

と言っていたことを思い出します。

大した言葉ではない気がしますが、これを血走った目で言われたら恐怖です。

殺されても口出ししちゃいけない感じ。

 

そもそも結婚したのも「ハラスメントを受けていた職場から逃げたかった」という悲しい理由で、実は私もその男を心から愛していたわけではないと思うのです。

しかし、当時はそんなことわからない。

私を職場から連れ出してくれるから、彼は白馬に乗った王子様に見えましたよ。

そんな私にも、問題はあったと思います。

そして、その道しか存在しなかった当時の現実がありました。

 

だからといって、彼が暴力的な態度を取って良い、というパスポートにはならないわけです。

日々少しずつ積まれていく不穏な態度と表現は、私の心身を順調に蝕んでいきました。

結婚半年後には、既に重い抑うつ状態。

 

そう、ニューヨークの同時多発テロのリアルタイムニュースがテレビで流れましたが、何一つ感情は湧きませんでした。

何一つ!!

ビルが崩れているのに。

 

しかも仕事が嫌になった彼は、鬱を装って(一応、過労の診断書あり)休職を始めるし。

在宅による抑圧。私のパソコン奪うし。

さらに一ヶ月くらいたつと、私は毎日意味もなく涙が出て止まらなくなりました。

彼に無理やりメンタルクリニックへ連れて行かれました。

そして、「重度の鬱病です、何もしないで寝たきりになってください。それでも最低2年はかかります」と宣告されました。

まさか自分が鬱病

しかも主治医は、「ご主人よりも遥かに重症ですよ」とも。

「あなたより重症だって」

と恐る恐る言ってみたら、返ってきたのは大きな舌打ちでした。

もう、涙も出ない。

 

その後は、かなり地獄でした。

でも、私は爆発して実家へ帰りました。

実家が受け入れてくれて良かったです。

そうでなかったら、どうすれば良かったのか。

まだDVのシェルターなんて知らなかったし、まさか自分にこんなことが起こるとは思えず。

両親が受け入れてくれたおかげで、本当に助かりました。

たくさんの人に手を借りて、離婚まで持ち込みました。

 

痛めつけられたエピソードはたくさんありますが、記憶はもうボンヤリと霞んでいます。

忘れてはいないし、許してもいないけど、いいですもう。

離婚できたし、無関係になれたし。

ストーカーもされなかったし。

 

 

その彼は「鬱を装って」いました。

仕事をしたくないから、メンタルクリニックに行って、過労の診断書をもらって数ヶ月仕事を休みました。

しかし私が鬱病になったことで、主治医は「あなたのご主人は鬱ではありませんよ」と言ってきました。

「人格が未熟なんです。自分の思い通りにならないから駄々をこねているだけ」

それを聞いて、私は「このままではいけない」と思いました。

主治医も「あなたの療養のためには、できれば別居をお勧めします」と言う。

「なんでこんな人生になった?」という人生に既に突入していました。

 

 

それがもう16〜17年前の話です。

ニューヨーク同時多発テロの頃ですから。

その後も私は、ずっと精神科通いです。

仕事もできず、再婚もせず、入院だけは何度もして、ODもしました。

傷は、深い。

 

私の場合は、主治医が彼のニセ鬱を見抜いてくれたことが幸いでした。

鬱を装う輩はいる。

それを見抜けない医者もたくさんいるでしょう。

何をもって鬱というのか、何をもってニセモノと見抜くのか。

素人の私にはわかりません。

ただ、私は運が良かった。

 

 

つらかった。

でも、今ここは、安心で安全。

 

もう、怯えることもない。