ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

嫌いな人には近寄らない

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意識したくないのに、意識しちゃう人っている。それは「嫌いな人」だ。いや、嫌い、は言いすぎだ。「あまり好きではない人」だ。つきあいがあるわけでもなく、話したことがあるわけでもない人もいれば、ネット上でお喋りしたことがある人もいる。実際に会ったことのある人の場合も。

 

そういう人は、私の遠くにいる。友達なわけでもないし、友達を解除していたり、ブロックやミュートをしていたりする。だから関わりはない。私の知らないところで、知らない生活をしている。知る由もない、というやつだ。

 

しかし「嫌い」、「好きじゃない」ということは、それだけ意識しているということだ。完全に無関心になる寸前の微妙なところ。この微妙なラインをひょいと越えれば終了するのだが、まだイマイチ越えられていない。越えられていない自分に驚いたりする。あれ、結構気にしてたんだな私。って。

 

こんな現象があると、「私もまだまだだな」と感じたりする。きっと年寄りになっても、まだまだだろう。嫌いな人は嫌いだし、好きじゃない人は好きじゃない。そんなの私の勝手だからだ。相手もきっと、私には近寄ろうとは思わない。無関心だからかもしれないし、思うところがあるからかもしれない。相手の勝手だ。

 

私の友人が、こんな感じのことを呟いていたことがある。いい言葉だ。うろ覚えなので、正確な記憶ではないが。

 

「私も嫌いなお前に近づかないようにするから、お前も私に近づかないように気をつけろよ!!」

 

こんな感じ。こんな感じで。

 

関わりたくない者同士、お互いに近づかないように気をつけようぜ。