ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

山本文緒さん、どうして

f:id:hammerklavier:20211020091027j:plain

直木賞作家の山本文緒さんがこの世から旅立ったとのニュースを耳にしたのが一昨日の夕方のこと。
私には信じることもできず、受け入れることもできなかった。
まだ58歳。
作家としてさらなる高みへと成長して、どんどん新作を出してくださると信じて疑わなかった。
Instagramで6月に出されていた笑顔のお写真に呑気なコメントをしていた自分が呪わしく感じられた。
もうご病気だったのだ。
なにも知らなかったからとはいえ、自分が許せなかった。
こうして書いてしまうと本当に山本文緒さんがいなくなってしまうようで、それを認めるような気がして、書くこともとてもつらい。
しかし事実は変わらないのだろう。
彼女の新作はもう二度と読むことはできないのだ。
受け入れたくないけれど事実は捻じ曲げることは困難だ。
ファンよりもはるかに苦しみ悲しんでおられるご家族のことを思うと、こんなことを私が書いたってなんにもならないことだってわかっている。
それでもなにかを書きたかった。

山本文緒さんの本はすべて読んだ。
若い頃のものから最新短編集まで読んでいない本はないと思う。
読みやすくて引き込まれる素晴らしい作品の数々に何度救われてきただろうか。
私の人生に大きな影響を与えてくれた大切な作家さんだ。
もっともっと読みたかった。
どうして去ってしまったのか。
神様のなさることは人間にはわからない。
ただ私は山本文緒さんの本を愛しているし、優しいお人柄も愛している。
本名でお呼びしたことがあるけれど、私にとってはいつまでも本名の彼女のまま心の中に生きている。
どんなにか苦しみながら生きて、そして書いていらしたか。
想像もできないけれど、世に出る作品はぐうの音も出ないものばかりだった。
愛すべき作家だ。

喪失感でいっぱいのファンがたくさんいると思う。
私もまたその一人だ。
しかし山本文緒さんは多くの作品を遺してくださった。
私たちはそれらを何度も読み返せる。
新刊は二度と読めなくても、今までの作品を何度でも味わうことが許されている。
感謝。感謝を伝えることのほうが相応しい。

ありがとうございます、山本文緒さん。
作家として生きて、たくさんの作品を遺してくださって。
まだ貴女がいないこの世が信じられません。
だけどこれからも読みます。
ありがとう。

訃報の出された夜は十三夜だった。
彼女の優しい笑顔を思い出していた。
どうしてと思うけれど、事実は変わらない。
そして今夜も月は昇るのだろう。



にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 シニア日記ブログ 独身シニアへ
にほんブログ村

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 50代の生き方へ
にほんブログ村