熊谷・綾屋両氏の本を読み終えました。
「つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく」
脳性まひの熊谷さんとアスペルガー症候群の綾屋さん。
二人がそれぞれに、生まれてこの方いかに生きづらさを抱えて奮闘してきたか、自らの障害にいかに向き合ってきたか、そして当事者研究へと導かれていく様子、当事者研究の分解と考察が書かれている本です。
先日読んだ「みんなの当事者研究」と違って、いわゆる生の体験談がたくさん書いてあり、その生きづらさのハイレベルさに圧倒されました……!
生きづらさにレベルの高低があるかどうかはともかく、「こ、これは大変な生きづらさ…!!」と圧倒されるしかなかったのです。
そして、自分がいかに他者の苦しみに疎いかということを、目の当たりにしました。
自分すげー生きづらいって主張してるのにね。
綾屋さんの「アスペルガーゆえにうまく周囲とつながりを自覚できない特性」と、熊谷さんの「脳性まひゆえに身体も親子関係もつながりすぎて返って身動きが取れなくなりやすい特性」の二方向から、「困った」を抱える心身を持ちながらいかに社会と人とモノとより快適に近くつながっていけるかを考えています。
そこから「当事者研究との出会い」や「当事者研究の作法」、そして「つながりの作法」を考察していくのですが、障害や病気ではない人にも有効な作法であることにも気付かされます。
読みやすいのに難しさもある、不思議な本でした。
特に綾屋さんの書く内容が、私の心に響きました。
「みんなの当事者研究」と「つながりの作法」の二冊を読み終え、私の頭は自分の生きづらさと困りごとのことで飽和状態に。
とにかく飽和しているものは出してしまわないといけないので、セラピストさんに向けて延々と何かを書いてドバーンと送ることを二回くらいやりました。
セラピストさんはそれを見てくださいますが、コメントすることはないので、ザ・書きっぱなしです。
当事者研究の作法の一つである「言いっぱなし聞きっぱなし」に少し通じるのかもしれないと、勝手に思っています。
詳しくは、次回、来月のセッションにて。
なぜこんなに急激に「当事者研究」に惹かれたかと考えると、やはり「何もできずに彷徨っていた」自分がいたからだと思います。
日々起こる症状(寝たきり同然になるほどの疲労感やフラッシュバック)との闘い、そして横になるしかないことから始まるネット依存による脳への負担。
悪循環がグルグルと回っていたのだと感じます。
何一つ「主体的にできることがない」自分に、もううんざりしていました。
そんなときに、セラピストさんから提案されたこの勉強。
「研究」というちょっぴりアカデミックな響きにもウキウキしたのかもしれません。
そう、私は何かを「主体的に」やりたかった。
やりがいを感じられる何か。
インプットとアウトプットの両方が楽しめること。
もしできるようならば、外へ出てアクティブになれるもの。
それを感じさせる魅力が、「当事者研究」にはあります。
あまりやり過ぎると疲れるので、少しずつ本を読んで、休んで、ダラけて、また読んで。
楽しんでいます。嬉しい。
ただ今、3冊目に入っています。
のんびり楽しく読もう♪