國分功一郎さんの「中動態の世界」を読みました。
前半と後半、少し間を置いて読んだので(10日ほどゲーム地獄だったから)、頭の中が前半と後半でちょっとぶっちぎれてます。
これはなんの本かって、哲学の本。
言語の中の、「中動態」という「かつて存在したらしい態」がどのようなものであって、能動態や受動態、つまり「する、される」とどう違っていて、そもそもどんな態(どんな表現)かの歴史や文献を見ながら、その中動態なるものが昔から今に至るまで人間の有り様にどう影響しているか。
を論じた本です。
これって哲学っていうの???
というくらい、ギリシャ語やラテン語ばかり出てきて、言語学とかの本かと思いました。
どうも哲学と言語は切っても切り離せないらしい。
大学でギリシャ語とラテン語はミミの端っこだけかじったので、とりあえず字面(アルファベットの読み方とか)だけ読めることが救いでした。
確かにね、私が何かをする、という表現と、私が何かによって何かをさせられる、という表現、この中に入りきらない事柄、現象、ありさまってたくさんあります。
能動態と受動態って、あまりにも分かりやすい対比になるので、その昔にあっという間に言語の中に定着してしまって、中動態というものを無理やり引退させてしまったらしいのですね。
今回読んでみて「なるほどーっ!」と思ったのは、暴力やハラスメントをどうとらえるかという部分。
國分功一郎さんは分かりやすく「カツアゲ」の現象を使って説明なさるのですが、カツアゲって、
・武器で脅される
・命が惜しけりゃ金を出せと言われる
・命が惜しいので「自分の意志で金を出す」
こんな感じですよね。
これは果たして能動なのか、受動なのか。
私は昔々、長期間にわたり継続的な暴力を受けてきた体験があるのですが、まさにこのカツアゲ状態でした。
仕事を干されたくなければ俺の言うことを聞け(だから選択の余地なく言うことを聞いて暴力を受け続けた)(ハタから見たら自分の意志で暴力を求めたみたいだよね)(でも違うのよ!!)的な。
このカツアゲ現象を、國分功一郎さんはいろんな哲学者の表現を使って、説明しようとなさるわけです。
分厚い本ですし、わりと難しい感じなので、モチベーションがなくなると読めなくなる本……でも面白かったんですよ。
カツアゲを哲学するなんて。
そしてカツアゲは「態」で表現できるなんて。
私はアタマ悪いので、ここで本の内容きちんと紹介できませんが、カツアゲ現象を論理的に解説したビックリ本です。
最終的には、
中動態という態(現象みたいな感じ)を知って、生きる姿勢を少しずつ変えてみないか?
という本……(わかってない!)
いや、読んで楽しかったんです。
へぇ!へぇ!へぇ!と思うことたくさん。
でも、ここでうまい感想は書けません。
頭の上を風船がプカプカ飛んでいます。
ジャンプしてその風船を割ることができれば、この本の内容もわかる。
でもジャンプしてもどうにも届かない。
よって、約55パーセント以下の理解度で終了する感覚です。
それでもいい。
この本を読んで、私は暴力やハラスメントへの新しい視点を得ました。
これは面白い。
私が受けた被害は、こんな風な視点で眺めることができる。
これがわかっただけでも、当事者研究にはバッチリ役立ちます!
國分功一郎さん、ありがとうございます。
とてもとても、勉強になりました。
あ、これを読んだら、スピノザの「エチカ」(100分de名著版)も読んでおかねば。
久しぶりに、ゲームではないお話でした。
中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)
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スピノザ『エチカ』 2018年12月 (100分 de 名著)
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