ぼたもち(仮)の重箱

躁うつ病、万年筆、手帳、当事者研究、ぼたもちさんのつれづれ毎日

ブラジャーの選び方

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本日はブラジャーの話題です。

 

いいですか、男性の皆さん。

女性はブラジャーというものを着けなければなりません。

窮屈で、キツくて、暑くて、汗もかくし面倒。

それでも、お胸がある限り。

逃れられないものなのです。

その辺りのところをよくご理解の上、ご家族やパートナーのことをケアして差し上げて!

 

ワタクシのブラはもうぼろぼろ。

10年くらい前にベルメゾンで買った2枚を、かわりばんこに使っていました。

さすがにもう使えない。

使えるけどかなり型くずれして良くない。

自分のサイズも少し変わってる。

そろそろ買い換えなければ。

 

というわけで、ユニクロへ!!

あらかじめこれというサイズを確認しておいたので、ユニクロに着いたら狙い定めたブラを2サイズつかんで、試着室へ。

つける。

ダメ。

つける。

これもダメ。

終了。

 

試着は時間をかけなくてもわかります。

ダメなものは一瞬でわかります。

残念ながら、ユニクロには私のお胸に合うブラはありませんでした。

 

目的がはっきりしていたので、踵を返して帰宅。

もう諦めた。

どうしようかな。

 

……の前に。

 

そういや駅のショッピングモールの中に、小さな下着屋さんあったな?

 

ということを思い出し、そこへ立ち寄ってみました。

 

お店の中にはワコールのロゴが。

そうか、ワコールを取り扱ってる店か。

なら大丈夫かな。高そうだけど。

念のためお姉さんにサイズを測ってもらいました。

まずはアンダー。胸の下。

そしてトップ。胸のてっぺん。

アンダーは変化ないのですがね。

トップは思ったより大きくなってました。

ええ、中年ですのでね。

脂肪ってやつですね。

 

できれば安めのがほしいと言ったら、「これが一番お安いです」って6,100円(税抜き)のものが目の前に。

 

……高っ…………!

ユニクロなら2,000円くらいなのに……

 

仕方ない、ワコールだし。

とにかくまずは試着してみよう。

 

部屋に入って脱ぎ脱ぎ。

よいしょっと。

 

 

ジャジャーン。

 

 

ジャストサイズでした!!

 

なんなのこれは!!

ユニクロブラのあの不快さはなに!!

この快適さよ!!

素晴らしい!!

これぞ私のお胸のためのブラ!!

ぴったり!!

ぴったりじゃないの!!

 

 

チャリーン(お買い上げ)。

 

 

教訓。

 

ブラジャー代は、ケチらずに。

きちんとサイズを測ってもらって、きちんと試着をして、正しく購入しましょう。

測るのも自分じゃなくて他人に測ってもらうほうが正確だと思います。

できれば慣れているお店の人に頼んでね。

 

いや、ユニクロブラでジャストサイズならいいんですよ(むしろ羨ましいよ)。

私にはまったく合わなかったから仕方ない。

高いものがいい、というわけじゃなくて、安く済ませようとして合わないものを買ったら身体に良くないということです。

そもそも合わないブラは長い時間は着けられません。

非常に不快なので(体験あり)。

ちゃんと合っているものを何とかして探し出しましょう。

 

というわけで、男性の皆さん。

女のブラジャー、たっけぇな。とか思わずに。

ちょうど試着したものが素晴らしく身体に合っていたなら、もしも高くても喜んであげて!

それで健康的で快適な生活が手に入るのです。

わかってね!!

 

 

ああ、いい買い物をした。

 

ハッピーです!!

 

 

(お店のLINE@で次回10%オフになるので、2枚目買いに行くぞ)

 

 

 

 

フラッシュバックと再現化

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いい感じのお天気の日。

 

月に一度のサイコセラピーに行ってきました。

たくさんの荷物を抱えて!!

 

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57,000字分のレポートと、ほぼ日手帳4年分。

全て当事者研究のためです。

今日のお話しも、当事者研究について。

たくさんお話ししてきました。

 

レポート出してきたよ。

フラッシュバックのこととか、キリスト信仰のこととか、自己肯定感のこととか、いっぱい書いたからね。

 

私がフラッシュバックだと思い込んでいたものが「再現化」なる現象であると初めて知った。

フラッシュバックじゃなかったのかよぉ。

せっかくレポート書いたけど、ちょっと頓珍漢な内容になってしまいました。

でも、他にもたっぷり書いていったので、書いた意義はあったはず!

 

明日以降にセラピストさんがレポートを読んでくださってから、今後一ヶ月間の研究テーマと参考文献を詳しくメールで教えていただけることになっています。

 

当事者研究は自分語り。

堂々と自分語りしていいのだ!

どんどんレポートで自分語りしています。

楽しいです。

 

でも次の文献は難しいってセラピストさんが言う。

うわーん。

あまり難しいのはわからないよ……

どんな本を読むのかドキドキです。

 

当事者研究、エンジョイしています。

 

出会えて本当に良かった……

 

 

家族で外食

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……に、行ってきました。

 

我が家の父はかなり足が弱っているので、歩くのが大変。

家からビルまではタクシーで行って、ビルの中は車椅子を借りました。

 

行ったのは東天紅

「健美御膳」(2,500円)というメニュー。

 

 

オードブル。麺状のものは豆腐だよ。

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薬膳スープ。不思議な味。
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点心。海老餃子と焼売。
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豚肉と筍とか野菜とかの炒め物。
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シーフードの炒め物。
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豆乳お粥。これがうまい。
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デザート。杏仁とクリームパイ。
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………ザ・お腹いっぱい。

 

夏からずっと宅配弁当ばかりなので、毎日結構味気ない食事をしています。

なので、今日は珍しくご馳走でした。

父と一緒に外食するのはとても久しぶりなので、父も喜んでばくばく食べてました。

よかったよかった。

 

ビルの中ってバリアフリーでいいのですが、意外と歩く距離が長いのです。ビルの内部は広い。

少し前に、車椅子のレンタルがあるかどうか確認しておいたら、3台置いてあるというので、電話予約して行ったのでした。

車椅子なら楽に移動できる。ありがたい!

自力で歩ける父ですが、ものすごーく遅いので、私たちが歩調を合わせると非常に疲れてしまうのです。

でも車椅子を使えば、父も私たちも楽に移動できます。

よかったなあ。

 

 

これならまた一緒に外出できそうです。

 

 

 

 

改元とか

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は、関係ない日々です。

テレビも改元フィーバーなので、地デジは見ていません。

4Kで南極の番組をやっていたので、ペンギンたくさん見ました。

のどかです。

 

私は平成元年に大学生になったのですが、あれからもう30年ちょっとが経ったのだなと思うと、光陰矢の如しとしみじみ感じます。

当時は自分が30年後にこんなになってるとは想像もしなかったですね。

まさか病気で20年近くを過ごすなんて……

人生ってわからない。

 

若い頃から意識低い子だったのですが、30年経っても意識低いままです。

無念。

でもいいんです。

これもまた人生だ。

 

元号が変わるといっても。

昨日が今日になるだけのこと。

意識低いので、今はこれでいいんです。

 

自分のできることをしよう。

病気がよくなることを考えよう。

 

 

とにかく、自分を大切にしよう。

 

 

 

認知の歪み

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心理学用語として誰もがしょっちゅう聞くであろうこの言葉は、今の私にとって緊急課題となっているものです。

 

認知の歪み、それは。

 

「本来の私」とは著しく異なった自己認識を持っている状態のことですね。適当に言うと。

 

例えば私は今、横になりながらスマホでこの文章を打ち込んでいます。一見怠惰に感じられる姿勢ですが、只今の私にはこの姿勢をするきちんとした理由があるのです。あの、「疲れているから」という理由だけですが。

疲れているから横になる。人としてそんなにおかしな行動ではない。しかし。

 

私はこれを「怠けている」と認識する。

 

怠けていて怠けていて、人間として最低で、この世の全ての人に謝罪しなければならないと勝手に思い込んでいたりします。

誰も私のことを責めてはいないのですが。いや、本当に。本当です。

 

それでも怠けていて怠けていて怠けていて情けない。もう人として最低。ろくでなし。こんな奴だから私はもっと罰せられるべき。もう死んだほうがましかもしれない。横になってスマホやるような怠け者はいないほうがいいと思います。

 

……これが、ザ・認知の歪み。

 

疲れているなら横になったほうがいいと思うのですが、私の論法だと「疲れて横になるくらいなら死んだほうがまし」という妙な極論になるという不思議な現象が起こってしまいます。

 

私にはこのような極端な認知の歪みが、いくつか内在しています。

これを正しい認識にしてやらなければ、私という人間はとてもとても不自由な生きかたをしなければならなくなります。いや、今まさに不自由なのです。不自由なまま、年をとって死んでいくのか。それはいけない。簡単に考えても損します。

 

認知の歪みを正すために、私は当事者研究という方法を用いて、セラピストさんのもとで少しずつ少しずつ修正を試みているのですが、これがなかなかうまくいきません。

長年にわたって心身に染み付いた認知の歪みは、そう簡単には抜けていかないのですね。

そもそもいつから歪んでいたのかすらわからない。認知が歪む以前の自己理解、自己認識はぼんやりとしています。これは仕方のないことかもしれません。認知が歪む病気(複雑性PTSD)なのですから。

 

この一ヶ月間、当事者研究レポートをコツコツと書き続けました。文字数だけならば、6万字くらいは書きました。

しかしそれで認知の歪みが完全になくなったかと言えば、果たしていかがなものか。

かなり修正された部分もあります。が、少し油断すると修正前のクセが出ます。疲れた〜、と認識して横になり始めても、どんどん自己嫌悪が滲み出てくるのです。そしていつの間にやら死んだほうがましな私のできあがりです。

20年以上にわたって刻み付けられた残念なクセは、ちょっとやそっとの当事者研究ではサヨナラしてくれないようです。

 

私の人生は私だけのもの。だから、認知の歪みもまた私のものです。認知の歪みを修正していく道は、まさにけものみち。誰も歩いたことのない山道をヒィヒィ言いながら手探りで進んでいくことに似ています。もちろんセラピストさんが同伴して導いてくださいますが、認知の歪みを修正していくのは私自身なのです。この先もしばらくは、けものみちを歩いて行かなければなりません。

 

けれども、実は。

 

今はとても、楽しい!

認知の歪みが修正されるかもしれない自分自身を感じるのが、とっても楽しみなのです。その向こうには、もしかしたら自分の知らない自分がいるかもしれません。本当はもっと自由だった私がそこにいるのかもしれません。自由な自分に会ってみたいではないですか。

だから、楽しい。

 

認知とやらが歪んでいるから、私って面白い。

 

今はそんな感じで、当事者研究をぽそぽそとやっています。

 

 

もう怖くないぞ、認知の歪みめ。

 

 

 

手をつないで、地平線を目指せ。

 

平成が終わるらしい夜、19時半前には寝た。

目が覚めたら令和が始まって1時間くらい経っていた。

んん~ってスマホを眺めてLINEの通知を見てみたら。

そしたら、ちょっぴり個人的・衝撃的なニュースが。

そうか、そうか、そうだったのかと。

しみじみと、本気で、目を閉じて、祈った。

友よ、一緒に歩こう、って。

 

彼女のことが大好きで、離れていてもいつも思っている。

神様は得がたい友を与えてくださった。

私のような至らない、未熟な人間に。

本当にもったいないの。

だいじにしたい。

 

今、彼女のことをぎゅううううって抱きしめたい。

だいじなだいじな彼女のことを。

 

手をつないで、あのまぶしい地平線を目指そう。

一緒に歩いたり走ったりしよう。

一年に一度、会えるか会えないかだけれども。

 

自らと果敢に向き合うあなたの勇気に乾杯しよう。

私もまた、自分と向き合い続けるよ。

 

人生は何が起こるかわからない。

今までどんなに大変なことがあっても。

これからのことは、誰にもわからない。

だから、未来は明るい。

怖がらなくても、きっと大丈夫。

 

手をつないで、あのまぶしい地平線を目指そう。

一緒に歩いたり走ったりしよう。

太陽はきらきら光る。

月は静かに憩う。

彼女はずっと、歌っている。

 

あなたからもらった小さなロザリオは、

今日も私の手元にあるよ。

 

 

ナヤメル君、がんばれ。

最近、中学生のナヤメル君(id:nayameru13-18)のブログをよく読んでいます。

 

本日の記事は、ブログをやっていることを親御さまに認めてほしいというものでした。

 

nayameru13-18.hatenablog.com

 

ナヤメル君のブログは、既に読者たくさんの立派なブログです。

私の小さなブログなんて、足元にも及ばないぞ!

 

中学生なのにミニマリストを目指して、シンプルに生きようとがんばっていらっしゃいます。

パソコンは持っていなくて、スマホだけでブログ作成。

一生懸命ブログで発信する少年。

なんて、なんて、なんて……

 

さわやかなの!!!!

 

若いっていうだけでも、オバチャン応援しちゃいます。

オバチャン子どもがいないのでね(夫もいないが)、なんか自分の息子みたいな気分(ごめん)。

 

これからさらにブログをがんばって、大きくしていきたいのかしら。

きちんとパソコンも買って、ブログ広告収入のことなども考えたいご様子。

そのためには、親御さまのご了解が確かに必要です。

説得の準備のために、まずはPV数から攻めてみよう……とな。ふむ。

 

もしも私がナヤメル君の母親だったら、PV数にとらわれるよりも、まずは楽しく書き続けることをがんばってほしいと感じるだろうなあ。

 

書くって、とても楽しいことです。

私は毎日ものすごーくいい加減なブログ記事を書いていますが、実はもともとは文章を書くのが大好きで、趣味で小説や詩をたくさん書いていました(黒歴史だがマンガを描いていたこともある。もちろん紙で)。

書き始めると、文章が長くなります。

長くなると書くのも読むのも疲れるので(もうトシだからね……)、最近は短い、いい加減な記事ばかりなだけです。

だけど、何かを書くことは、自分を見つけることでもあるのです。

自分と向き合うことでもある。

中学生であっても老人であっても、それは同じだと思うのだ。

たくさん書いてほしい。

書くことで、自分と向き合って、日々自分を発見してほしい。

書くことを楽しんでほしい!

損することは、絶対にない!!

 

楽しく続けていることが親御さまに伝わったならば、きっと熱意が通じて、ナヤメル君の希望することに向き合ってくださることでしょう。

心配はたくさんたくさんあるでしょうが、きっとわかってくださる。

だって、息子が楽しんで継続していることを、親御さまも嬉しく応援したくなるはずだもの。

 

ナヤメル君が親御さまと有意義に話し合って向き合って、よい道へと向かえるように、影ながらガンガン応援したいと思います。

 

がんばって!!

 

 

 

 

(……ちなみに私のブログは読んでくださる人もとっても少ないと思うし、アクセス数なんて毎日見てもいないし、ツイッターで拡散なんかろくにしていないし、広告収入とかも考えたこともないけれど、ただ続けているだけでも何となく楽しいのだよ)